人と絵の話をすることなんて滅多にないが、
偶々そんな話をする機会があって、
その人がシャガールが好きだというから、
「僕はシャガールは怖くてみれない」と言った。
前までは僕もシャガールが好きだったのだけれど、
その人と話をするほんの数日前に、
シャガールの絵は怖いな、と思ったばかりだった。
不思議なタイミングである。
怖い絵といえば、シーレの人物画も負けてはいない。
シャガールがこってりとしたコニャックだとすれば、
シーレはピリッとしたシングル・モルト。
ゲージュツを酒に譬えるのも申し訳ないが、
そんな印象だから仕方がない。
そんなことを思いつつ、
ラフロイグの10年をチビチビやりながらシーレの画集を開いてみたら、
「ひまわり」とかいう作品があるじゃないですか。
シーレって画家は、解剖図というか、
削りに削った大吟醸米(また酒ですみません)のような人物しか描かないのかと思っていたら、
ひまわりなんかも描いていたのかと、軽い驚き。
「ひまわり」と言えば、あの人のアレもあるので、
それと比べてあまりの違いに、二度目の驚き。
でも、このシーレのひまわりは、花じゃない。
これは間違いなく、人だ。
ジャコメッティではないが、こんな人がいてもおかしくない。
花のような人なのか、人のような花なのか。
だとすると、シーレが描いている「人」は、実は「花」なのか・・・
なんだか訳が分からなくなってきた。
こんな「煙に巻かれた」気分にさせてくれるのも、
絵を見る楽しさの1つであって、
それと、今の自分には、コニャックよりはシングル・モルト、
シャガールはしばらくおあずけである。