仏像はただの彫刻ではない。
依頼主の信念と、それに応えて像に注入される仏師の魂。
極楽浄土が本気で信じられていた中世においては、
仏像を刻むということは、
仏と一体になることとイコールだった。
だから、仏像というものは、
アートの彫像のように眺めるだけでは不十分である。
何を目的にして、どのように作られたか、
というところまで踏み込まなければ、
その真価は理解できないし、
それが分かれば、なぜその仏像が、
そのような表情をしているかということまで、分かる。
この本は単なる仏像鑑賞の手引きではなく、
まさに「作る側の視点」で書かれた仏像の解説書である。
定朝作の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像について、
その角材の特異な削り方から、
「立体像が立体性の限界を超え、
非立体の領域に踏み込もうとしている」
と分析する鑑識眼のレベルの高さには、感服するしかない。
そして神護寺の薬師如来立像の異様な表情に籠められた、
願主と仏師の心的エネルギーを語り、
さらには「樹」という素材に宿る生命エネルギーへと話は展開されるあたり、
まさに読むだけで心が洗われる気になってくる。
これも仏の為せる業(わざ)なのだろうか。