「黄金比はすべてを美しくするか?」(マリオ・リヴィオ)

 

グラフィックデザインを学んだ際、
黄金比についての著述に触れることは少なくなかった。

そこに書かれていることは、大体同じである。

曰く、黄金比とはデザイン的に「最も美しく」見せることができる比率であり、
デザインのみならず、古今東西の芸術作品に見られる、
普遍的な美の基準である、と。

けれども、僕はそれに納得してこなかった。

少なくとも、僕の美的基準からすると、「黄金比は若干横が長い」のである。

幸い、僕には多少の数学的知識があったので、
ユークリッドによる黄金比のそもそもの定義や、フィボナッチ数列との関係などから、
黄金比というものが、数学的な魅力を持っていることは、十分に承知していた。

しかし繰り返すが、それと美的感覚とは、また別である。

この本で、初めて自分と同一の意見に出会い、少し安心した。

そう、ピラミッドやパルテノン神殿や、ダヴィンチをはじめとする名作絵画に、
黄金比が使われているというのは、
そうなるように恣意的に解釈しようとすれば、いくらでもできるのであって、
そのような主張の大部分が誤りであることを、この本では綿密に検証している。

そして、そもそも黄金比というものが、最も美しく感じられるのかどうかについても、
「美しい」という価値基準は難しいものだという前提の上で、
いくつかの論拠のもとに、否定している。

著者は、宇宙物理学が専門の科学者だ。

科学の分野においては、実験から自説に都合のよい結果だけを抽出することは、
最もしてはならない行為とされている。

黄金比に肩入れをしている多くのデザイナーや美術評論家は、
そのような重大な誤りを平気で犯しているのであり、
評論の場における科学的な思考・アプローチの重要性というものが、
もっと取り沙汰されてもよいのではないだろうか。

数学や物理はもちろん、
美術や音楽、文学といった広範囲の教養から語られる本書は、読み応えがある。

最後は、黄金比の話から離れ、
数学とは何か、数学は普遍の真理なのか、それとも人間が作り出した道具にすぎないのか、

といった、深い部分にまで踏み込んでゆく。

今の時代、こういう本は、理系の人しか読まなくなっているのだろうか、
だとしたら、それは残念なことだ。

「自称デザイナー」の方々にも、是非読んでもらいたい一冊である。

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