かぐや姫の物語

おそらくこれが、2013年の、劇場でみる映画のラストなのかな。

このブログで振り返ってみると、今年、映画館に足を運んだのは、21回。
月に2回弱のペース。

来年もこれぐらいのペースを保つのが、ベストかと。いろいろな面で^_^

さて、かぐや姫のお話。

CG全盛の今の時代に、このような作画で勝負に出たのは、結果的に成功だったし、
ある意味、ジブリだからこそ出来る冒険だったのかもしれない。

単に作画のみならず、細かい描写とかが、日本画によく見られるような手法を使っていたりして、
この作品が、単なる思い付きではなく、相当綿密な計算で作られたものであることが分かる。

そして、何といっても「かぐや姫」という題材。

おそらく日本国民で、この物語を知らない人はいないであろう、国民的文学作品。

ただ、後の「源氏物語」なんかと比べると、「竹取物語」は、かな物語とはいいながらも、
多分に中国以西の要素が入っていて、専門的に見ればそこが違和感だったりするわけだけれども、
この映画ではそのような部分も、キレイさっぱり除去し、
「かぐや姫」を、日本的視点で解釈し直すとこうなるんだろうな、という納得の出来映えだった。

ラストの、月からの使者がかぐや姫を迎えにくる場面は、
日本文学千年の歴史の中でも、屈指の名シーン。

この場面を果たしてどう描くのか、観る前から、そして鑑賞を開始してからも、
そこが気になって仕方がなかったのだけれども、
このシーンだけは、賛否が分かれるかもしれない。

月から迎えが来る、というのは、明らかに中国の神仙思想の翻案、もしくはパクリなんだけど、
この映画では、迎えにきたのは、どう見ても、仏様。

日本人からすれば、仏様の方が納得というか、しっくりくるのだけれど、
まるでエレクトリカルパレードを彷彿とさせるような、明るい音楽に乗って仏様が登場し、
記憶をすべて消去する羽衣を着せる、というのは、
考えすぎなのかもしれないけど、どうしても宗教色が強い印象があったのも事実。

※宗教色というのは、別に仏教的というわけではなく、
ラストのカタルシスの手法が、宗教的洗脳によくあるやつに似てなくもないので、
うーーん、お涙頂戴的には、アリなのかもしれないけど、それでいいの?というか、
いろいろ複雑なことを考えさせれるわけです、はい。。

かといって、SF映画ばりに、デカい宇宙船が登場して、、、なんてのも違うだろうし、
おそらくこのシーンは、制作側が一番悩んだんだと思う。

まぁでも、こういう解釈もアリなんだろうな。

カタイ解釈をしようとする、国文学専攻だった自分の頭を責めてみたり。

ともあれ、日本の老若男女が楽しめる良作だったと思います。

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