生物の進化について。
・パターン1:長い間、ほぼ進化せず、現代まで存在しているもの
シーラカンスなど、「生きてる化石」というのがこれに当たる。
バクテリアの大半もこのタイプかもしれない。
・パターン2:一定期間、ほぼ進化せず、現代は絶滅してしまったもの
地球上に現れた種の99%は既に絶滅していることを考えると、
ほとんどはこのタイプなのかもしれない。
我々ヒトは一属一種だが、かつて存在していた他の種は既に絶滅した(と言われている)。
人骨化石を見る限りでは、進化せずに消えた種も多いようだ。
・パターン3:ある程度の進化はしたものの、現代は絶滅してしまったもの
これもパターン2と同様、サンプルは多いはずだ。
たとえば、魚竜の代表とも言える、イクチオサウルス。
彼らは、小型の原魚竜と呼ぶべきものから、
大型で、非常に高度な性能をもった種へと進化したことが知られている。
しかしながら、白亜紀の途中で絶滅している。
・パターン4:ある程度の進化をし、現代まで存在しているもの
クジラは、もともとウシなどと同じ陸上に棲む偶蹄類だったので、
華麗なる進化を遂げた例としては、最適かもしれない。
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とまぁ、ここまでは割と普通な話なのだが、今回書きたかったことは、この先にある。
しばしば、生物の造形には「神なるデザイナー」が存在しているかのように言われることがあるように、
デザイン、すなわち機能や外観といった視点でみると、
生物とモノとは共通点が多い。
であるならば、「進化」においても、
生物とモノとで共通点があるのではないだろうか。
そこで、上述の生物進化の4パターンに、
モノが当てはまるかどうかを検討してみた。
パターン1に当てはまる典型例としては、「傘」だろう。
上位カテゴリである「雨具」においては、
「蓑」が「レインコート」になったような多少の進化はあるが、
「傘」については、文化史の長い期間において、ほぼ変化がない。
頭に被る「笠」のような亜種もあるが、こちらはほぼ絶滅に瀕している。
パターン2として、日の目を見ずに消えていったモノを、
我らの消費文明の中から探すのは、それほど難しいことではない。
ただ、生物の場合と一緒で、完全に絶滅したかどうかは、分からない。
正確には、「進化せずに絶滅寸前」というべきかもしれない。
例えば、「孫の手」。
背中を掻く、というニーズがなくなったわけではないのだが、
ほぼ目にしなくなった。
近い仲間かと思われた、「青竹」はフットマッサージ器に進化したし、
「耳かき」も絶滅どころか、我が家には3本もある。
進化はしたものの、絶滅に瀕しているパターン3にあてはまるのは、
「音楽カセットテープ」。
音楽の記録媒体の歴史というのは、まさに生物の進化と似て、
様々なドラマを見せる。
再生専用媒体の方は、蓄音機→レコード→CDという順調な進化をしてきた。
録音媒体の方は、旧式テープレコーダーから、カセットテープへと進化し、
さらにデジタル化という劇的進化の中で、
MDやDATというエース候補が登場するのだが、
双方ともに、まさかの絶滅。
純粋なる音楽再生媒体の血脈はほぼ途絶え、携帯電話やipodなど、
ハード側で録音機能を兼ねるという形が主流となる。
ただし、(パターン4の大勢を占める)ハード機器が、
これらを絶滅に追いやったというよりは、
MDやDATは、環境変化に耐えられず、自滅したかのような感がある。
恐竜が自滅し、そのぽっかり空いた穴に哺乳類が進出してきたようなものだろう。
歴史は繰り返すのである。
パターン4は、例を挙げるまでもないのだが、
ぱっと見、進化に見えるようでも、
実は違う系統の場合もあるので注意が必要だ。
例えば、電卓はそろばんから進化したものではない。
これは生物界でいうところの「収斂進化」で、
出自は違うのだけれども、見た目や機能が似てくるというパターンである。
ちなみに、そろばんは、パターン1の代表例でもある。
固定電話とケータイの関係も、厳密な意味での進化とは言い難い。
ケータイは元の幹から枝分かれしてきた新種であり、
固定電話の方は、初期形態から見事に進化し、
現在も大きな勢力を保っている、パターン4の代表選手だ。
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ふとここで、金曜の夜中に、シラフでこんなことを書いていて意味があるのかと、
自問自答してみる。