今年の3月、東京都は非常事態宣言及び緊急事態宣言を発した。
小笠原の父島・兄島に、グリーンアノールという外来のトカゲが侵入しており、
島の生態系を脅かしている、というのがその理由である。
この件に関し、つい先日、
まさに当のグリーンアノールの某氏より、手紙を受け取ったため、
ここに全文掲載することとした。
※氏に何らかの危害が及ばないとも限らないため、その名前は伏せておく。
私はトカゲ語については、話す方はまるでダメだが、
読み書きはそれなりにできることもあり、
氏は私を手紙の受取人に指名したのであろう。
だが、もとより彼と面識のないことは、ここで断言しておく。
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拝啓
私は、ちちじまに棲む、グリーンアノールの※◎▲×と申します。
突然の手紙を差し上げたことを、お詫び申し上げます。
まずは我々グリーンアノールについて、
簡単に自己紹介をさせていただきます。
我々は、まだあなた方が地球に誕生する前、ずっとずっと昔に、
あめりかと呼ばれる場所におりました。
元々は「グレーアノール」といいまして、
他の多くのトカゲたちと同様、灰色の体をしておったのですが、
我々の伝説上の英雄、ボルダワナⅡ世という偉い王様が、
それはそれは激しい闘いの末、グレーアノール族からの独立を見事勝ち取り、
その際に、現在のような鮮やかな緑色の皮膚を、手に入れたのでございます。
ヒトの世界では、この緑色を、保護色だ何やらと言っているようですが、
とんでもございません。
これはまさに我々の自由の象徴なのでありまして、
その点については、一歩も譲るつもりはございません。
さて、長らくあめりかに棲んでいた我々の先祖でありますが、
あるとき、とある賢人が現れまして、
この世界はあめりかだけではないということを説いたのです。
始めは皆、半信半疑でしたが、
そのうちに、海と呼ばれる大きな水溜まりを渡ると、
そこには別の世界があり、そこに行って帰ってきたというものも現れるようになりました。
そこで我々は一大決議を行いまして、
ではひとつ、その別世界とやらを開拓してみよう、ということになったのです。
これが、我々の歴史でいうところの、
いわゆる「大航海時代」というものでございます。
もう長らく昔の話になりますゆえ、果たしてどのような方法で航海に出たのか、
あなた方人間の力を借りたのか、それともヤシの実にでも乗ったのか、
あるいは自力で泳いだものか、
その詳しい方法は、今となっては分かりませぬ。
ただし、鳥やクジラの中には、
地球の隅から隅まで移動するものもいると聞きますし、
我々動物にとって、新しい居住地を求めて長い距離を移動することは、
特段珍しいことではございません。
ここは強調しておきたいのですが、
あなた方人間が現れる前から、実はそうでした。
さて、各地へ散らばった我々の仲間のうちの一部が、
ここちちじまに棲むことになりました。
私はその十二世代目にあたります。
ここは気候も良いですし、我々の好物である昆虫も豊富なので、
我々はまさにこの世の春を謳歌していたわけです。ついこの間までは。
それは、生ぬるい雨が降りやまない、四月のある日のことでした。
いつものように、晩御飯用の昆虫狩りに出ようと思い、
隣に住む@×▲○※を呼びにいきました。
我々の掟では、狩りはひとりで行ってはならないことになっていたのです。
巣の外から、何度か呼んでみましたが、返事がありません。
はて、これはおかしいと思い、
無礼とは思いながらも、巣の中に入ってみたところ、
まだ小さい彼の娘さんが、ひとりで泣いているではありませんか。
(@×▲○※は2年ほど前に奥さんとは別れており、娘さんと二人暮らしでした。)
泣くのをなぐさめつつ、事情を聴いてみますと、
どうやら昨夜、狩りに出たきり帰ってきていないとのこと。
あれほど一人で狩りに行ってはいけないと言われていたのに、
それを破った彼も悪いと言えば悪いのですが、
しかし、娘さんを一人きりにして丸一日留守にするような、
不義理な奴ではありません。
(奥さんと別れたのは、また別の理由です。)
私は、瞬時にイヤな予感がしました。
すぐに仲間のみんなに知らせ、手分けをして探すことにしたのです。
手前味噌ではありますが、
我々グリーンアノール族というのは、かなりプライドが高いことで有名なのですが、
このときばかりは、そんなこと言っていられません。
途中で出会った他のトカゲや、あるいはヘビやヤモリたちにも、
@×▲○※の姿を見なかったかどうか、聞いて回りました。
けれども、何ら手がかりはつかめず、東の空が白みがかってきたころ、
とにかく一度帰って休もうとしたときでした。
世にもおぞましい光景が、目に飛び込んできたのです。
あまりの驚愕に、悪い夢でも見ているのではないかと思いました。
何度か目をこすり見てみましたが、
その光景が変わるはずもありません。
私は思い切って、彼の名前を読んでみました。
すると、微かながら返事が聞こえてくるではありませんか!
私は本能的に駆け寄ろうとしました。
しかしそのとき、彼が文字通り必死の声を振り絞り、制止したのです。
「きちゃいけない」と。
どれぐらいの時間でしたでしょうか。
私はその場で、呆然と立ち尽くしておりました。
そして、夜明けの涼気の中で、だんだんと頭が覚めてくるにつれ、
事情が呑み込めてきました。
噂には聞いておりましたが、
これがヒトの作ったワナというものだったのです。
私は、愕然とすると同時に、
やりようのない怒りがこみあげてくるのを感じました。
友の声は、すでに絶え絶えになり、
最後に娘さんの名前を呼んでいるのが、かろうじて耳に届いてきます。
それを聞きながら、何も出来ない自分。
近寄ることさえもできず、友の最期をただ見つめることしかできない無力さ。
そのあと、自分がどうしたのか、はっきりとは覚えていません。
ただ、しばらくの間、自暴自棄になり、
何もせず、空ばかり眺めながら、数か月間を過ごしていたように思います。
その後、しばらく経ち、だいぶ冷静な頭で考えられるようになってから、
詳しい事情を耳にしました。
どうやら、ちちじまでは、
ヒトによるグリーンアノールの駆除が行われているらしい。
ヒトによれば、我々グリーンアノールは「侵入生物」であり、
島に生息する貴重な昆虫を捕食する、害獣であるとのこと。
このことを聞いたとき、
はじめ私は、何のことやらさっぱりわかりませんでした。
たしかに我々は、生まれ故郷のあめりかを離れて移住してきた。
でもそれは、何も我々に限ったことではない。
昆虫を食べているって? そりゃ、食べるとも。
だって生物が生きるうえで、他の生物を食べることは、当たり前のことであって、
それはヒトだって同じこと、
いや、ヒトが現れる前から、常に状況は同じであり、
それが原因で滅んだ種だって、数えられないはずじゃないか!
どうやら我々が好物にしている、
何とかというチョウが滅びる恐れがあるというのだが、
それがヒトにとって、何の関係があるのだろう。
逆に、ヒトは、我々グリーンアノールが滅んでも、何とも思わないに違いない!
私は、同時に、あの友の最期の声を思い出し、再び涙しました。
それは悲しいというよりも、何もできない自分に対する悔し涙でもありました。
我々が一体、どんな悪いことをしたというのでしょう?
勝手に故郷を離れたことでしょうか?
そしてそれは「侵入」なのでしょうか?
それともチョウを好んで食べることでしょうか?
そのいずれであるにしても、それを裁く権利が、ヒトにあるのでしょうか?
実は、我々爬虫類は、四年に一度、一カ所に集まり、
世界爬虫類会議というものを、開催しております。
前回は、ぼるねおという島で行いました。
その時に、ヒトの爬虫類に対する行いが議題としてあがったのですが、
ヘビ曰く、ヒトの彼らに対する毛嫌いぶりは驚くばかりであり、手も足も出ない、
ワニ曰く、自分たちも好かれているとは思わないが、カバンやベルトにされるのはつらい、
カメ曰く、自分たちは引っ込み思案な性格からか、むしろ好かれているように思う、
と、各種それぞれの意見だったこともあり、
いまだに爬虫類としての認識の統一はできておりません。
そこで私は、トカゲ語の文法に精通しているという貴殿の噂を耳にし、
何とか我々グリーンアノールの境遇について訴えるべく、
筆をとらせていただいた次第でございます。
いまだに悲しみが癒えず、感情的になってしまいましたゆえ、
読みづらい箇所が多々あろうかと思いますが、
最後までお読みいただけましたら、幸いでございます。
※◎▲×より。
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長くなったが、以上が、私が受け取った手紙の全文である。
もしかしたら所々誤訳があるかもしれないが、
大筋としてはご理解いただけたかと思う。
当件につき、個人的な感想を述べるのは本意ではないので、
最後に、我々「ヒト側」からの意見を紹介して、終わりにしたいと思う。
「父島と母島でワナの設置や回収などにかかる費用は年間4500万円前後。
ワナ1個当たり180円と、費用対効果でみれば安上がりの対策になった。」
(環境省)
「グリーンアノールの生息密度が減れば、それだけ在来昆虫の生存の可能性が高まる。
前例のない取り組みで、すばらしい成果だ」
(神奈川県立生命の星・地球博物館 苅部治紀・主任学芸員)
「世界遺産に登録されるためには、将来にわたって確実に自然が引き継がれることを示す必要がある。
外来種対策は、そのために必要不可欠だ」
(環境省 羽井佐幸宏・世界自然遺産専門官)