我々のミトコンドリアDNAの歴史を辿ると、
かつてアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イブ)に行き着くように、

現在のあらゆる西洋音楽の歴史を遡れば、
必ずJ.S.バッハに行き当たる。

バッハがいなければ、現在の西洋音楽はだいぶ変わっていただろう。
それぐらいバッハは偉大であり、まさに「音楽の父」とも呼べる存在だった。

小学校や中学校で習うバッハのイメージは、
ベートーヴェンやモーツァルトよりも大分昔の、古臭い、といったものであったかもしれないが、
それは間違いで、バッハはロック・スター顔負けの革命児だった。

(これは余談だけれども、バッハが生まれたのは1685年、
竹本義太夫が竹本座を開いたのは1684年、
東西の音楽革命家が同時期に活躍していたというのは、非常に興味深い。)

バッハの偉業については、とてもここでは語り尽くせないが、
例をひとつ挙げれば、器楽の独立ということがある。

洋の東西を問わず、音楽の王道は声楽だった。

そんな音楽の世界において、
器楽を声楽に対する「従」の位置から、独り立ちしてもやっていけるようにまで格上げさせたのが、
バッハなのである(その経緯については、省略)。

例えば、日本の伝統楽器である三味線が、
ほぼ常に声楽を伴うものである(伝統楽器とはいえない津軽三味線は除く)ことを考えても、

ピアノやヴァイオリンやギターといった西洋楽器が、
声楽から独立しえたというのは、ただならぬことであった。

けれども例えば、
バッハと、その前の時代を代表するモンテヴェルディやパレストリーナといった作曲家の音楽を比べると、
敢えて言えば、「バッハ以降の音楽はうるさい」と感じることもある。

まぁそれは、そのときの気分や音楽の好みにもよるのだけれども、
人間が奏でるものである以上、究極の音楽はやはり声楽であって、

器楽は決して声楽と対等でもそれ以上なのではなく、
声楽の美しさを引き出すための、「慎ましやかなパートナー」であるべきだと思うのである。

ということで、今回おすすめしたい曲は、モンテヴェルディの「マニフィカト」。

バッハ以前の音楽の中では、かなり洗練されたもので、
若干俗っぽい感じがしなくもない曲なのだが、
それでもオルガンの伴奏のみの声楽の美しさを、十分に堪能できると思う。