昨日(2015年7月31日)は、「ブルームーン」という現象が話題になっていて、
初めて聞く言葉だったので調べてみると、
ひと月のうちに二度満月があることを言うのだとか。

けれどこの現象は、別に騒ぐほどのことではない。

なぜなら、「一か月」(month)という単位は太陽を基準としているのであって、
月(moon)には何の関係もない。

たまたま、満月から満月までの周期が29.5日で「約一か月」であることと、
「月」という語が「month」と「moon」の両方を意味すること、
それと、かつての太陰太陽暦の概念の名残で、「month」は「moon」の動きで決定しているのではないかという誤解が、

あたかも「ブルームーン」なるものが、
何か不思議で神秘的な現象であるかのごとく思われている原因だろう。

つまり、一か月の中に満月が二回ある、という現象は、
一か月の中で、二回会社に遅刻した、というのと同じぐらい、
因果関係のない、つまり不思議でもなんでもないことなのである。

ついでに暦に関する誤解についてもう一つ触れておくと、

よく天気予報などで、
例えば立春の日には、「暦の上では春になりました」などと言われるが、

あれは大きな誤りである。

「立春」だとか「秋分」だとかのいわゆる「二十四節気」というのは、
太陽の動きを合理的に二十四分割しているわけなので、
暦とは全く無関係である。

暦というのは人為的なものだから、
どこかでズレが生じ、そのために閏日や閏秒で補正をしなくてはならないのだが、

二十四節気はそんなことは何も気にすることはなく、
単に、「今年も太陽が立春の位置にきた」という、それだけなのである。

だから、そもそも二十四節気というのは、暦とは次元の異なる概念なのであつて、
それを、「今日は立春なので、暦の上では春です」などというのは、

「今年は厄年なので、オリンピックが開催されます」というぐらい、
ちんぷんかんぷんな(死語)言い回しというわけだ。

二十四節気と暦の致命的なズレというものを理解しないかぎりは、
「古今和歌集」の記念すべき巻頭の、

年の内に 春は来にけり 一年を今年とや言はん 昨年とや言はん

という歌を、理解することはできない。

この歌は、立春が早くも年内に来てしまったので、
二十四節気と暦がズレてめんどくせーなー、という歌なのである。

ただ、もうお分かりのように、「立春が早くも年内に来てしまった」という表現自体が厳密には誤りなわけで、
立春は立春で、いつも同じにくるのであって、
暦の方が勝手にズレているだけのである。
(ましてや古今和歌集の時代は、太陰太陽暦である)

科学の進歩は目覚ましくて、
宇宙のルールと科学とはシンクロしているように思えるのだけれども、
カレンダーに関しては大いに不満で、厳密性を欠くこと甚だしい。

カレンダーの仕組みがもっとシンプルであったならば、
我々の文明はきっと違った姿になっていたに違いない。