『今昔物語集』の巻第二十六には、
猿に生贄を捧げる話が二話続けて載せられている。
そのうちの一方は、各地の民話や昔話にもなっているので、
知っている人も多かろうと思う。
両話をmixし、ukiyobanare的に脚色を加えたうえで、
現代語になおしてみた。
原文とは違う世界を楽しんでいただけたら、幸いである。
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1.
老僧は、静かに語り始めた。
「あれはもう、五十年ほど前のこと、
今とちょうど同じ、桜の花の咲き満ちた頃でした。
同じく国衙にお仕えしていた、武士(もののふ)の仲間とともに、
里外れの森の近くの大きな桜の樹の下で、
舞を舞ったり歌を詠んだり、
それはもう、今から思い出しても心躍るような、
そんな春のある日のこと。
日もだいぶ西に傾き、酒もかなり回ってきた頃、
私は小用を足そうと、ひとり森の中に入っていきました。
鬱蒼とした森ではありましたが、
そんなに深く踏み入ったはずはありません。
けれど、用を足して、いざ皆のところに戻ろうと少し歩いたとき、
自分が道に迷ったことに気付いたのです。
『はて、どちらの道だったか。。』
血気盛んな若者だったとはいえ、
間もなく日が暮れなんとする森の中、
歩みを進めれば進めるほど、現実世界から遠ざかってゆくようで、
心細さといったらありませんでした。
いよいよ、巣に帰る鳥の声も絶え、
木の肌も黒ずんで見えてきたころ、
先を歩く人の姿が目に入ってきたではありませんか。
遠目ではありましたが、
小さな姿で薪のようなものを背負ってよっこら、よっこらと歩く背中は、
初老の木こりかと思われました。
私は、ただもう嬉しくて、さきほどまでの不安はどこへやら、
酔いも吹っ飛んだ駆け足で遠くの背中を追いかけ、
ようよう近づいた頃合いで、『おじさんよう、おじさんよう』と、
声を掛けてみました。
こちらの声が聞こえないはずはありません。
他に聞こえていたのは、
夕暮れを知らせる遠くの寺の鐘の音ぐらいでしたから。
何度も何度も、声を掛けてみました。
けれども、振り向くことはおろか、立ち止まる素振りすら見せないのです。
今から思えば、そのときに何かおかしいと気付くべきだったのですが、
あの状況でそんな余裕などあろうはずはありません。
こうなったらもっと近づいて、
何が何でも彼の目の前に立ち塞がってやろうと、
持ち前の負けん気も手伝って、足を速めることにしました。