「色」という漢字は象形文字で、
男女が絡みあっている様子を形にしたものだとどこかで読んだ記憶があるが、

今日はそっちの「色」ではなく、純粋なcolorの話。

そもそも色とは何か。

身近な例でいえば、郵便ポストはなぜ赤いのか。

赤い塗料が塗られているから。
⇒正解。

ではなぜ、赤い塗料は赤いのか。

赤い物質が含まれているから。
⇒正解。

ではなぜその赤い物質は赤いのか。

禅問答のようなやりとりも、ここで行き詰る。

ある物質が赤い、というとき、それは、水は水素原子と酸素原子からできているというのとは、
次元が全く異なる話である。

水が水素と酸素から出来ているという「事実」は、宇宙のどこに行っても変わらないのに対し、
ある物質が赤いというのは、宇宙のどこででも成り立つわけではない。

端的にいえば、その物質が赤いのは、可視光線のおかげなのである。

どういうことなのかといえば、「赤い」というのは、物質ではなく可視光線が持っている性質なのであって、
我々はその物質が反射している赤い光を見ているだけなのだ。

別の言い方をすれば、

「赤く見える物質は、赤以外の光を吸収し、赤い光を反射するから赤く見える」

ということで、「赤い」というのはその物質の性質ではないのである。

お分かりいただけただろうか。

ここで少し脱線して、光についての話をしたい。

光(可視光線)というのは、電磁波の一形態のことで、
そのことを考えるとき、僕はいつもお茶のことを思うのである。

すなわち、お茶というのは、紅茶の木とか緑茶の木とか烏龍茶の木というのがそれぞれあるわけではなく、
(もちろん品種の違いはあるが)

基本は同じ「お茶の木」で、それを発酵のさせ方等を分けることによって、
紅茶や緑茶としての違いが生じてくるわけで、

それと同じく、光(可視光線)も赤外線もX線もケータイの電波も、すべては「電磁波」という現象であり、
ただ周波数の異なることで、それぞれの違いが生じている。

FM専用のラジオが、FM波しか拾わないのと同じように、
我々の眼は光(可視光線)にしか反応しない、いわば「光専用の受信機」なのである。

だから、赤色の話に戻れば、
赤い物質というのは、この我々の受信機にとって「赤く感じられる」というだけで、
遠い宇宙のエイリアンにとってどう見えるかは、分からない。

我々は光(可視光線)の中で、文化や芸術を発させてきた。

もし我々の眼がX線専用の受信機だったとしたら、
それらは想像もつかないものになっただろう。

SFの世界では、エイリアンと地球人とは分かち合えるのか、というのがひとつのテーマになるが、
万が一エイリアンがいるのだとすれば、
分かち合えるかどうかは、そのエイリアンの眼がどの電磁波に対応しているか次第ではないだろうか。

もし彼らが、光(可視光線)以外に頼っているのだとすれば、
残念ながら両者が共感するのは難しいのかもしれない。

だが不思議なことに、地球上にいる生物すべての眼が「光専用の受信機」というわけではない。

たとえば、ショウジョウバエの一種には、
地球上には存在しないような周波数の電磁波を感受する眼をもっているものがいるらしいし、

一見華麗な模様をした蝶の羽根も、
天敵の眼が拾いやすい周波数では、恐ろしい蛇の顔に見えるものがあるという。

光信号は目で受信し、
それが電気パルスとなって脳に伝わり、解析される。

だとすれば、個人や民族間で、色に対する感じ方が大きく変わってくるのも当然のことで、
例えば、色の名称についての各国の語彙を比較してみるのも興味深い。

日本は古来より色を表す言葉が豊富だと言われている。

柿渋色、縹色、江戸鼠、鉄紺・・・あげたらキリがない。

けれど、一見多彩に思える日本の色名であっても、
「形容詞」となり得るのは、実は四語しかない。

色というものが概念として意識されるのはずっと最近になってからのことで、
原初より、色は形容詞として使われてきたはずだ。

日本語で形容詞として用いることができるのは、

黒(い)
白(い)
赤(い)
青(い)

の四語しかないのである。

黄色い、茶色い、は、「色」という補助語を付けなければ形容詞的に用いることができず、
緑や橙、紫などその他の色については、「・・色の~」というしか方法がない。

つまり、上にあげた四つの色というのは、
日本で古くから認識され、いち早く使われた色名だといえるだろう。

四語ではあるが、「黒⇔白」「青⇔赤」という、
対になった二組と考えることもできる。

そしてこの四色は、古代中国の陰陽五行説を構成する色でもある。

陰陽五行説では、中央に「黄」を配置し、
東西南北の各方位に色と季節を結び付けた。

北:黒・冬
西:白・秋
南:赤・夏
東:青・春

この組み合わせは覚えるまでもなく、イメージとしてしっくりくるのではないだろうか。

北原白秋という詩人のペンネームはここからとられたものだし、
「青春」という言葉もこの陰陽五行説に由来している。

春になると植物が芽生えるが、その緑色も古代人にとっては「青」だった。

そこから、「青虫」「青二才」など、
「青」には、若々しい、未熟であるという意味が付加されることになる。

先日、たまたま漢字字典を繰っていたら、
「黒」+「幼」で「あおぐろい」と読む漢字を見つけた。

真っ黒ではない、どこか青みがかった黒のことを指すのだろうが、
「黒」+「青」ではなく、「黒」+「幼」というところが、なるほどと思った。

ついでに一字で「青白い」と読む漢字はないかと探してみたが、
こちらはなかった。

以上が、colorについての、とりとめのない話。