「フランケンシュタイン・コンプレックス」(小野 俊太郎)

 

映画にせよ、小説にせよ、
モンスターを題材とした作品はネタの宝庫である。

そもそも奴等は人間ではないのだから、
奴等の行動を通して、逆に人間とは何かを問うこともできるし、
肉体論や精神論へと発展させることも容易である。

この本も、「フランケンシュタイン」「吸血鬼」「透明人間」
「ジキル博士とハイド氏」といった、

モンスター作品の古典中の古典を分析して、
そこに共通して潜む問題を抽出する、というのがテーマなのであろうが、

残念ながら失敗に終わっていると言わざるを得ない。

上に挙げた作品は、さすがにどれも名作だけあって、
それぞれが孕む問題は単純ではない。

しかしながら、著者はそれぞれの作品をひとつずつ、
そこに込められた問題を思いついたように語りながら進めるため、

論としてのまとまりに欠け、
結局何を云わんとしているのかが、よく分からなくなってしまっている。

せっかくの上ネタなのに、これはもったいない!

僕だったら、まずはモンスターを分類するところから始めるだろう。

「変身型」「憑依型」「機械型」・・・などなど、

そしてそれぞれのタイプにカテゴライズされる代表的なモンスターを語ることで、
各々の問題点や共通点が、自ずと浮彫になってくる。

この本はそういう手順を踏まずに、いきなりディテールから入るから、
話はどんどんとおかしな方向へ流れ始め、

古典モンスターを語ったあとは、ゾンビでも登場させればいいのに、
なぜか次に出てくるのは、「ジョーズ」だったり「ジュラシックパーク」だったり、

挙句の果てには「マイノリティ・レポート」とか、「チャタレイ夫人の恋人」とか、
観たことある映画について語りたいだけちゃうんかと・・。

一方で科学について熱く語っているかと思えば、
アインシュタインは相対性理論でノーベル賞を受賞したなどという初歩的な勘違いをしているし、
(受賞したのは「光量子仮説」)

人造人間と東洋思想についてのくだりにおいても、
西行版のフランケンシュタインについては一言も触れられないし、

なんかこう、自分の知識の中だけで、
強引に論を進めて悦に入っているというか、

この本自体が「フランケンシュタイン」なのではないかと感じるぐらいの、
バランスの悪さが最後まで拭えなかった。