音楽体験というものを、「聴く音楽」「する音楽」「語る音楽」の3つに分け、
それぞれがどのように絡み合っているのか、
それぞれには何が必要か、など、
身体レベルに近い視点での音楽論である。
音楽に関する著作には割とうるさい僕だが、
この本に書かれていることには概ね同意で、
特に「語る音楽」、すなわち、
音楽を言葉にすることの難しさ・大切さについてのくだりは、
ああ、こういうことだったのかと納得がいった。
音楽に限らず、芸術を楽しむにはルールがある。
そして視覚で感じる芸術よりも、
聴覚で感じる芸術の方が、そのルールを理解するのは難しい。
なぜならば、聴覚で感じる芸術は、ルール化されるのを待ってはくれず、
しかも実体として認識することが困難だからだ。
ここに、音楽を体験することのハードルの高さがある。
ポップミュージックであればあるほど、ルールは簡易であるから、
門戸を叩くのにそれほどの抵抗はないが、
クラシック音楽はそうはいかない。
それはクラシック音楽が「高尚だ」ということでは決してなく、
現代の我々からは明らかに遠い文脈に置かれているため、
そのルールを生の感覚として捉えることが難しくなっているのである。
ただ逆を言えば、そのルールさえ突破できれば、
途端にクラシック音楽が身近になり、もっと好きになる。
これはクラシックに限らず、民謡でも浄瑠璃でも民族音楽でも同じことだろう。
乱暴に言ってしまえば、
ポップミュージック以外のジャンルの音楽は、
ただ聴いただけでは楽しむことはできない。
そこにはルールを理解した上での、能動的な参加が必要となる。
言われてみれば当たり前のことなのだけれども、
こういう感覚的なレベルでの音楽体験について、
言葉にすることはなかなか難しく、
それを平易にズバリと分からせてくれたこの本には、感謝したい。