フェルメール、レンブラント、カラヴァッジオ、ベラスケス、
そしてルーベンス。
絵画の黄金時代は、やはりバロックだなぁと思う。
ルネサンスの伝統を引き継ぎながらも、
題材も構図もよりドラマチックになっており、
それは今回のルーベンスの作品群を観ても、一目瞭然である。
さて、今回の展示の見所を一言で表すならば、
「目は口ほどに物を言う」。
複数の人物が描かれた作品において、
何もかもよく出来ているのに、人物の視線だけが残念な作品がよくある。
人物たちの視線が不自然というかバラバラで交わっておらず、
鑑賞する側も、何となく不安定になるというか、
正直気持ち悪いのだが、
さすがルーベンスはその点も抜かりがない。
いきなり大作であるが、
「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」を見てみよう。
まずこの絵の重心は、画面中央下部に配置された籠の中の赤ん坊(エリクトニオス)であって、
周りの人物たちの頭部は、それを頂点としてほぼ三角形状に配置されていることが分かる。
そしてその計算された人物の配置に加えて、
それぞれの視線にも工夫を凝らしているのが、
この絵のすごいところ。
すなわち、一番左の女性と籠の隣に立つ天使の視線はしっかりと絡み合い、
その隣の老女は籠を見据え、
一番右の女性は隣の女性を見つめて何やら話しかけ、
話しかけられた方の女性は、視線こそ話し手に向けていないものの、
その表情から話を聞いているのだということがすぐに分かる。
つまり、それぞれの視線を追えば、
まるで各人物の心の声が聴こえるかのようではないか。
まさに「目は口ほどに物を言う」のである。
加えて、それぞれの人物の取る姿勢のリアリティと、
赤・青・紫の布の鮮やかさとボリューム感。
この絵が今回の展示の最後を飾っていたのは偶然ではあるまい。
まさに天才ルーベンスならではの作品であろう。
続いては、これも大作の「マルスとレア・シルウィア」。
主役の二人については説明するまでもないだろう。
その視線と表情により、吹き出しで台詞を付けることもできそう。
注目したいのは子供の方で、
突然現れた軍神マルスに、怯えたような視線を投げる中央の子供、
そして、マルスの脱ぎ捨てた兜を持ちながら、
中央の子供を不安そうに見つめる左端の子供。
さきほどの絵同様、ここにも四者四様の「想い」があって、
それぞれの視線を辿ることで、それが理解できる仕組みになっている。
ついでにいうと、マルスの両手は極端に短く描かれていて、
それにより奥行き感を出す効果が生まれているわけだが、
左脚への影の付け方といい、ややオーバーな気がするものの、
このあたりの小技もさすがと言いたい。
次は「幼児イエスと洗礼者聖ヨハネ」。
左がヨハネで右がイエス。
子羊を撫でる優しい仕草とは裏腹に、
このあとの運命を予感しているかのような、二人の真剣なまなざしが印象的だ。
風景が割とシンプルである分、
二人の視線の間に密度というか、エネルギーがすごく集まっていて、
子供を描いた絵にもかかわらず、緊張感をもった不思議な絵である。
そして「目は口ほどに物を言う」シリーズの最後は、「ローマの慈愛(キモンとペロ)」。
囚われた父に娘が母乳を与えるという場面なのだけれど、
やや放心しながらも必死に母乳を飲む父親と、
それを見つめる慈悲深い娘の視線が、
緊迫感を十分に表現している。
そして何よりも素晴らしいのは人物造形だろう。
弱った体から何とか顔だけを突き出して母乳をむさぼる姿勢と、
それに対して、自らの胸を張って乳房をつまむことで母乳を出す姿勢は、
生半可な画力では絶対に描けないわけで、
おまけに父親の筋肉や、腹のあたりの窪みの描き方なども、
まさに完璧この上ない。
最後に、それ以外で気になった作品をさらっとご紹介。
・「パエトンの墜落」
天を駆ける戦車が落下するシーンを描いたものだけれども、
人はもちろん、馬がこういう状況になることは現実にはまずないわけで、
おそらく作者の想像で描いたに違いなく、
それにしても自然に、まさに落ち行く一瞬の重力感みたいなものを表現できていると思う。
・「老人の頭部」
これはなかなか写真では伝えられないが、
老人の顔のディテール、特に肌の肌理が実に細かく再現されていることに驚いた。
・「燃える柴の前のモーセ」(ドメニコ・フェッティ)
これはルーベンスではなくフェッティの作品。
モーセが履物を脱ぐシーンで、
腕や脚を含めた姿勢が上手く描けているのと、
燃え上がる火の表現が象徴的で気になったので、紹介してみた。