古代遺跡と天文学とを関連付けて研究する分野は、
「天文考古学」と呼ばれているわけだが、
ご存知のとおり、ここはオカルトや眉唾なものも含めた、
いわゆる「トンデモ科学」の温床ともなっている。
この本は、そのような「トンデモ科学」とは一線を画し、
学問的アプローチによったものであると、著者自身が力説している。
ただ僕には、如何にそのアプローチが完璧で、
導き出された結論が疑いのないものであろうと、
この学問分野にはそれほど魅力を感じていない。
たとえば、我々の住居は、南を向いて建てられていることが多いが、
それと同じことを古代エジプト人やマヤ人がしていたとして、
そこに何の不思議があるだろう。
太陽でなくてもいい。
その当時信仰の対象であった、任意の惑星なり恒星に向くように、
ピラミッドや神殿が建てられていることは、
ミステリーでも何でもなく、至極当然のことなのではないか。
この本はそのような「当然のこと」を地道に証明しているという意味で、
確かに学問的なアプローチなのかもしれないが、
しかしこの手の研究が陥りがちな、
ある対象で正しいと思われた内容を、他の対象にも適用してしまう、
というミスを犯していると思われる箇所がいくつかある。
例えば、アレクサンドロス大王により設立された古代都市、
アレクサンドリアの都市設計について、以下のように述べている。
・この都市の中心道路は、紀元前331年時点での先行ユリウス暦における、
6月2日頃と7月24日頃の日の出の方角に対応している。
・後者の日付は、アレクサンドロス大王の誕生日である7月20日に近い。
当時のアレクサンドリアは大都市である。
6月2日生まれの人も、7月24日生まれの人も大勢いただろう。
であるのに、その日付とは近いながらも異なる大王の誕生日を意図して、
この道路が作られたということに、何の説得力もない。
しかも著者自身がこのすぐ後に、
上記の考え方の決定的な間違いを以下のように述べているのだ。
・しかしアレクサンドロス大王が誕生したユリウス日は、
その時代に使用されていた暦とは何の関係もないため、微妙な点が残る。
つまり、単に日付が少しズレているのみならず、
そもそも「暦の種類」自体が違うというのだ。
これはもう比較することすらナンセンスであり、
それは「微妙な点」というレベルを超えている。
確かに古代遺跡の中には、明らかに天体を意識しているものも多いのであるが、
それを「すべての遺跡はそうに違いない」と誤解することで、
上記のようなナンセンスな結論を導いてしまう。
もし上記のような強引なこじつけが許されるのであれば、
おそらく我が国の京都・奈良にある大部分の寺院でさえも、
何らかの天文現象との関係が見出されることになるのではなかろうか。