何度か義太夫の発表会で出演させてもらっている、
深川江戸資料館に、新内節を聴きに。
2014年にも行っており、そのときの記事はこちら。
半蔵門線の清澄白河で降り、まずは腹ごしらえということで、
迷わず深川めし。
狙った店は混雑していたため、「深川釜匠」さんに行ってみた。
相席前提の4人掛けテーブルが2つしかなく、
(おそらく)ご夫婦で切り盛りしている家庭的なお店。
いわゆる「深川めし」というのは、
言ってしまえば、ご飯にあさり入りの味噌汁をぶっかけたものなのだが、
「深川釜匠」さんのメニューは「あさり丼」。
ご飯にあさりとしらたきを載せた上にミツバを散らしたものなので、
「深川めし」のあの「びしゃびしゃ感」が苦手な人でも、これならいける。
「深川釜匠」さんにはこれしかメニューがないため、
この「あさり丼」とビールをいただく。
※他にも佃煮メニューはあり。
あさりの旨味を最大限に活かした、上品な薄味。
味噌汁もあさり出汁で。
いわゆる「深川めし」ではなかったが、
これはこれで大満足。
新内流しの開始時刻にはまだ余裕があるので、
深川といえば、日本第一号店で有名となった「ブルーボトルコーヒー」に行ってみることにした。
休日な静かなる道を歩くこと10分余り。
まるで工場のような店舗が見えてくる。
広々とした店内は、
手前がカウンターと客席で、奥は工場?のような作りになっており、
二階もあるようだが、どうやらそちらは倉庫かなにかの模様。
果たしてこの「現場感」がどこまで実務に必要なのかと言われれば、
おそらく大部分がパフォーマンスなのだろうけれど、
それにしても客席が少ないのはやや勿体ない。
幸運にも空席を占めることができ、さてオーダー。
この時節、大多数の人がアイスコーヒーなるものを注文するようだが、
コーヒーはやはり香気を楽しむもの。
ましてや初めて訪れる店となれば、
ぜひともホットでなくてはならぬということで、
ブレンドとシングル(コロンビア)とあったうち、
シングルをオーダー。
うむ。
普段家庭では極限まで濃いコーヒーを味わっているせいか、
どうしても薄く感じてしまう。
でもまぁ、これはこれでアリ。
ちなみに、ブレンドの方は何やらよく分からない味で、
うーん、正直おいしくはなかったかな・・・。
食後のコーシーも終わった処で、そろそろ新内流しの時間となったので、
深川江戸資料館へと。
通常の展示についてはもう何度も観ているので、
今回は真っ直ぐに、舞台となる火の見櫓へと向かう。
時刻となるや、遠方から三味線の音色。
いよいよ、流しがきた。
2014年に来たときは新内剛士という御名前だったのだが、
昨年、めでたく家元になられたとのことで、新内多賀太夫さん。
演目は4年前と同じ「日高川」。
またか、、という感はあるが、一般受けという意味では、
この「日高川」あたりがちょうどよいのだろうけれども、
でも人形浄瑠璃の舞台を観たことがない人に、
いきなり素浄瑠璃で聴かせても果たして魅力が伝わるのか、、という懸念はある。
※まぁ、僕が懸念しても仕方がない。
深川江戸資料館を後にし、
清澄通りを進むと、小名木川に当たる。
江戸時代以来、隅田川から分かれる水路として名高いこの川の北岸を西へと歩く。
新小名木川水門のところで右に折れ、
町内のお祭りらしい雰囲気で賑わう常盤を回って、
萬年橋を北から南へと渡る。
萬年橋の北から望む清州橋は、通称「ケルンの眺め」。
隅田川に架かる橋の中でもひと際美しい清洲橋のブルーが、
猛暑の中、何とも涼しげでもある。
再び河岸に下りて、小名木川と隅田川の分岐点を眺めながら、
先ほど望んだ清洲橋へ。
江戸時代、この辺りは中洲であって、
歓楽街として浮世絵にもよく描かれているのみならず、
近代になっても、佐藤春夫や永井荷風の作品にもたびたび登場しており、
個人的には、『断腸亭日乗』における中州の病院通いをしている荷風が印象深い。
清澄の「清」と、その中州の「州」を取ったのが「清洲橋」。
箱崎方面へ渡ると、そこはまさに「日本橋中州」という住所であり、
土曜日のせいか閑散とした街の中にひっそりと金刀比羅宮があった。
どれぐらいの歴史があるのか詳しくはないのだが、
かつての中州の繁栄で、人々に信仰されてきたのだろう。
もはや少なくなった歴史の証人のひとつなのかもしれない。
清洲橋通りをそのまままっすぐ進むと、
高層マンションの麓に、小さな濱町神社がある。
すぐ後ろにはファミレスやスーパーが迫っており、
さきほどの金刀比羅宮同様、近代的な街の中の小さな祠というのが、
東京を表す象徴になっているのかもしれない。
ただそれも、そのうちに失われていくのだろうと思うと、
それでよいのかという気持ちにはなる。
明治座を右手に見て「久松町」の交差点を左折し、
久松警察署の向かいにあるのが、笠間稲荷。
数多くの狐様の像が、信仰のほどを物語っている。
久松町から人形町を経て、大伝馬町へと続く辺りは、
個人的にも、自らのルーツ的にも、いろいろと感慨深いものがある。
甘酒横丁で一杯いただいたら元気が出たものの、
夕立が激しくなってきたため、歩みを早める。
人形町の交差点近くの、ハーブティー専門店をあてにしていたのだが、
あいにく人員不足のため早めに閉店してしまったとのこと。
堀留町から大伝馬町へ出て、江戸通りを左折。
かつて住んでいたマンションを確認し、
室町で中央通りを日本橋方面へ。
浴衣姿の若い女性で賑わうコレド日本橋を見て回って、
出汁や佃煮を買ってみる。
ここから日本橋にかけてはとにかく凄い人出で、
隅田川の向こう側から歩いてきた者からすると、まるで別世界。
たぶんその感覚は江戸の昔から変わらなかったはずで、
そこにこそ、かつての深川のアイデンティティがあったのだと思う。
三越、高島屋を経て東京駅へ。
地下鉄の三駅分ぐらいを、迂回しながら歩いたことになる。