「神は詳細に宿る」(養老 孟司)

最近、またなぜか読書のペースが上がってきた。

別にヒマになったわけでもないし、
むしろ仕事は忙しくなってるし。

僕の場合、なぜ読書をするのかというと、
基本、怠惰な性格なので、ゼロから考えることはしたくない。

だから本を読むことで、
考えるきっかけを得ることができる。

ただもちろん、コストは嵩む。

考えるために金を払うのは何だかバカバカしいけれど、
同じ金で酒を飲んで、何も考えずに時間を潰すよりは、
余程マシかな、と最近ようやく思い始めた。

プリニウス先生の『博物誌』に、

普通の人間は、昨日を失いつつ生きていくが、
酔っ払いは明日までをも失ってしまう、

みたいな記述があったと思う。

明日を失うぐらいなら、本代なんて払いますよ。

・・・・・
どうでもいい話が長くなった。

養老先生の新刊本。

といっても、過去に(割と最近)色々な雑誌等に掲載された文章を、
再編集したものである。

なので、実際に以前読んだことがある文章なのか、
それとも著者の書きっぷりがブレていないのか、

どちらかであろうが、たぶん後者だろう。

80歳を過ぎた方を評するのも失礼かもしれないが、
そう、ブレてない。

死体を解剖することを仕事にしてきた人なので、
妙に醒めているというか、客観的なモノの見方をするのだけれど、
でも基本的には身体感覚に根差した考え方をしているわけで、

その微妙なバランス感覚が、
いつ読んでも、たとえそれが既読感に溢れた文章であろうとも、
不思議な魅力を放っているのだ。

フンコロガシは糞を転がすことによって、
世界の、あるいは宇宙の、そして全存在の意味を問うている。
現代のバカはそれがわからないから、
虫を踏み潰して終わる。

などというあたりは、
もはや昆虫愛を越えて、

生命論というか宇宙論というか、
荒々しいのだけれども妙に納得させられてしまう哲学のようだ。

もちろん昆虫の話だけでなく、
環境問題や、脳の話、政治家やマスコミへの愚痴等々、
まだまだ養老先生は健在である。