中世日記紀行集

高校生の教材でも使われているので、
よく知られてはいるが、
「十六夜日記」は「いざよい(の)にっき」と読む。

「いざよい」は上代では「いさよひ」で、
岩波古語辞典によれば、

「いさ」は「いさかひ(諍ひ)」と同じで、
物事が前進しないこと、

「よひ」は「ただよひ(漂ひ)」と同じで、
不安定な様子、

を表すとのことで、
要するに「いさよひ」は、「ためらっているさま」という意味となる。

そこになぜ「十六夜」という字を当てたのかであるが、
旧暦十六日の月が、日没後にためらうように出るからというのが、
一般的な解釈であるが、

「ためらうように沈む月」に使われる用例もあるので、
もともとは、太陽の動きとは微妙にずれて、
ためらいがちに上る、あるいは沈む月のことを、
「いさよひの月」と呼んでいたのだと思う。

これはいかにも古代の日本人らしい、
繊細なセンスだと思う。

そして特に、ためらうように「上る月」が十六夜であったから、
「いさよひ」に「十六夜」という漢字を当てたのだろう。

漢字を当てることで想像力が限定されてしまい、
本来の微妙なニュアンスを見落としがちになる好例かもしれない。

さて、作品の話をしよう。

作者の阿仏は、藤原定家の息子為家と、
いわゆる「歳の差結婚」をするわけだが、

為家没後に、阿仏と別の妻との間にもうけた子供同士で領地争いが起き、
その解決のための裁判をするために、
母である阿仏が京都から鎌倉に出掛ける、という内容である。

(ちなみにこの事件を機に、
俊成・定家から続く御子左家は、緒家に分かれることとなるため、
和歌史上はそれなりのインパクトのある事件である。)

全体は大きく三部構成になっていて、

1.旅立ちを前に、その経緯、心情や、
息子たちとの別れのやり取りを語った部分

2.鎌倉までの東海道の紀行文

3.京都にいる息子や知人との和歌のやりとりを通して、
鎌倉滞在中の不安を語った部分

となっている。

さすがに「和歌の家」に嫁入した作者だけあって、
どの部分の和歌もなかなかの出来映えで、
歌日記として読んでもよいぐらいである。

「2」については、
かつて十代の頃に旅した思い出(「うたたね」)や、『伊勢物語』と重ね合わせていて、
思わずニヤっとさせられることも多い。

道中の宿所の様子なども詳細に描かれていて、
当時を知ることができる歴史資料としても、
価値があるのかもしれない。

「3」の部分は、
最後がおそらく未完のまま終わっているのと、
内容がやや単調なきらいもあり、

その前の2つの部分と比べると、
退屈に感じられる。

ただ全体としては、
散文部分も描写は緻密で、文体も流麗、
作者の力量を如何なく発揮した名作であろう。