たしか、昨年末にも、
同じタイトルで記事を書いた。
ここ数年、年末になると、
年の暮を詠った和歌が、なぜかあれこれ気になる。
我々現代人は、様々な外的要素によって、
年末年始を感じることが多いのであるが、
そこまで刺激が多くなかったはずの中世人たちが表白した、
年末についての和歌を見直すことで、
日本人の心の奥にある感覚を、
あらためて認識させられる気がするのである。
今年紹介するのは、『新古今和歌集』に収録された、
西行法師の一首。
をのづから いはぬをしたふ 人やあると やすらふ程に 年の暮れぬる
年末になると、何となく気持ちがワクワクするし、
お世話になった人に、感謝の気持ちなどを伝えたい気もする。
でも、こっちから言わなくても、
たぶん向こうから言ってくるだろうな、、、と思って、
何も連絡しなかったり、年賀状も書かないままに、
結局、お互い連絡取れずに終わってしまう、という、
すれ違いのありさまを詠んだ歌である。
これは別に、年末年始に限らず日常生活でもあり得る話ではあるが、
特に現代では、LINEなどで気軽に連絡が取り合えるからこそ、
この西行のような状況が発生しうるのではないか、
と思うとなかなか興味深い。
ただ、『新古今和歌集』には、詞書として、
歳暮に人につかはしける
とあるので、
そのような気持ちを、西行がわざわざ相手に対して、
つまり、
「そっちから連絡来るかと思ったのに、来なかったよ」
と伝えたらしいのが、やや興醒めではある。
とはいえ、一度は俗世を捨てた西行でさえも、
年の瀬にはこのような人恋しい気持ちになると解釈すれば、
それはそれで人間味のある歌だともいえる。
そのことを人に言おうが言うまいが、
人とのコミュニケーションに悩むのは、
今も昔も同じこと。
まして、お歳暮やら年賀状やら、
あれこれ気を遣わざるを得ない、現代日本ではなおのこと。
そういう意味で、
西行の感覚は、とてつもなく新しいのかもしれない。