バッハは言うまでもなく、
「対位法の大家」と見做されているが、
主に18世紀から19世紀初頭にかけて、
対位法観はどのように変化したのか、
そしてその中で「バッハ作曲技法の正典化」が、
どのようにして生じたのか、
について論じた本。
どちらかといえば学術論文っぽく、
けっして気軽に読める本ではないので、
要注意かも。
18世紀の批評家・音楽家6人(ハイニヒェン、マッテゾン、マールプルク、キルンベルガー、ライヒャルト、ネーゲリ)の著述を詳らかに検証することで、
上に書いたテーマに迫ろうとする手法が、
なかなかユニークだと思った。
ただ「結論」の章に書かれているとおり、
ヨーロッパ文化全体における「理性」対「感性」の動き、
そしてその中での、
「ポリフォニー」から「ホモフォニー」への音楽形式の変化、
といった大前提があることを念頭にせねばならないわけで、
そのことが前半でもっと強く語られていれば、
もう少し内容が分かり易くなったかもしれない。
(要するに、いきなりディテールに入ってしまっている感が強い)
バッハの生前から、
そのスタイルは時代遅れと見られ、
死後だいぶ経って再評価されたあとも、
聴いて楽しむというよりは、
どちらかといえば研究対象であったというのは、
もしかしたら今も変わらないと思うのだが、
どうだろうか。
僕も含めて、バッハ好きは確かにいるが、
ショパン好きと比べてどちらが多いかと言われれば、
間違いなくショパンに軍配が上がるだろう。
たぶんバッハの音楽は、
実際に弾いてみないとその凄さの半分も理解できない気がしていて、
けれど、理解したいがために、
ショパンはさしおいてバッハを弾いてみよう、
と思う人が果たしてどれだけいるか。
そう考えると、
この本で書かれているような「バッハ評」の複雑な揺れというのは、
けっして昔話でもないような気もするのである。
ともあれ、夜中に「フーガの技法」や「GBV」を聴きながら、
この本を読むことができて、楽しい時間を過ごすことができた。