寒川 旭 著「地震の日本史―大地は何を語るのか」(中公新書

以前から「理科年表」にある、
過去の地震記録を眺めるのが好きなのだが、

ただそこには、震源の緯度経度と、
マグニチュードが記載されているぐらいで、
いわゆる「データ」と化している。

この本は、過去の大地震について、
単なる「データ」としてではなく、

それらが当時の人々に、
どのような影響をもたらしたかという、
「生きた記録」として紹介したものである。

文字記録のない時代については、
遺跡に残る痕跡から地震の被害を推定し、

資料に残っているものについては、
その引用と考察を行うという、

新書本でありながら、
かなりの読み応えがあり、
地震と歴史両方に対する興味を満たしてくれる。

特に江戸時代以降については、
かなり生々しい被害状況が記録されているため、

読んでいるうちに、
怖いというか悲しい気持ちになってきたのだが、

だが冷静に考えてみると、
これは我が国で起きた記録なのであり、

そして何よりも、
同様のことがいつまた起きてもおかしくない、
というのが、残酷な現実である。

地震に対しては、
日本には安全な場所などない、

これがこの本を読んだ第一の感想だ。

「地震・雷・火事・オヤジ」

というが、地震がズバ抜けて恐ろしいのは、
予測・回避ができないこと、
これに尽きる。

ただ少なくとも、
特定の地域での大地震というものは、
ある程度の規則性をもって起きているので、

過去の記録を知ることで、
多少の心構えは可能となる。

それにはこのような本を読むのが、
まさにうってつけだ。

予測・回避ができない地震に比べれば、
昨今のコロナ対策など難しくはないわけで、

君子危うきに云々、ではないが、
感染可能性が高い場所や事象を、
避けることは十分にできる。

それすら覚束ないようでは、
地震の被害を食い止めることは、
かなり高いハードルになるだろうが、

とりあえずは、
次に「理科年表」やこの本に載るような大地震が、
起きないことを願うばかりである。