言語の成立を考えたとき、
(擬音語・擬態語は別として)
名詞・動詞が他に先行したであろうことは、
想像に難くない。
盛り上がっている土地を、
「山」と名付け、
その土地を上に向かって歩くことを、
「登る」と名付ける、
といった具合だ。
そこから次の段階に進むと、
「山」の中にも、
「低い」や「高い」があったり、
「登る」であっても、
「ゆっくり」や「速い」があったり、
つまり、形容詞や副詞が生じることになる。
しかし「山」や「登る」が、
万人に共通の、客観的であるのに対し、
「高い」や「速い」は、
個人の主観に左右されるというところが、
形容詞や副詞の難しさであり、
面白さでもある。
また、よくパリあたりのブランド店では、
日本人の若い女性は品物を手に取ると、
皆一様に「かわいい!」って言うという、
半ば小馬鹿にしたようなことを言われるが、
弁解をするならば、
日本語というのはなぜか、
形容詞に乏しい(おそらく副詞も)のであって、
その理由はなぜか、
といったことを考えても、
形容詞の魅力は尽きないのである。
※正統的な(?)形容詞が少ないせいか、
現代では、うざい・エロい・キモい・エモい、
などの形容詞の造語が多い気がする。
要するに、僕個人としては、
日本語研究の最終地点こそは、
まさに形容詞なのではないかと思っており、
そんな興味から、
愛用する「古語大辞典(小学館)」の編者の一人でもある、
この著者の本を手に取ってみることにした。
やや前置きが長くなったが、
結論からいうと、
かなり刺激というか示唆に富んだ一冊だった。
特に注目した一点目としては、
古語のク活用の形容詞においては、
語幹末音節にイ列音がこない、ということ。
そこから「ヒキシ」(低い、の意)という語が、
果たしてあったのか、という考察に進むのだが、
その考察方法が緻密かつロジカルで、
流石である。
二点目としては、
現代語のク活用の形容詞においては、
語幹末音節にエ列音がこない、ということ。
そしてその事実こそが、
古語には存在した、
「うるせし」「さやけし」「むくつけし」
などの形容詞が、
「うるせい」「さやけい」「むくつけい」
といった形で、
現代語には残らなかった理由なのである。
※そしておそらくこのことが、
現代語に形容詞が少ない理由の、
ひとつなのではないだろうか。
ただひとつ気になった点としては、
主格が二つある、いわゆる「~が~が」構文、
例えば、
私が この料理が おいしい
のような文を正しいとしていることで、
確かに理屈としては納得できるのだけれど、
果たしてこれが日本語として自然かといえば、
どうしても疑問ではある。
もちろん僕の考慮不足の可能性が大なので、
それも含めて、今後もう少しこの分野を深めていきたい。