第三十一番歌

【原歌】
朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪
(坂上是則)

【替へ歌】
時知らぬ雪と見まがふ朝ぼらけ
里ぞ凍れる月の光に

今回紹介する二首はいずれも、

「Aだと思ったらBだった」

という、
いかにも古今集時代らしい機智に富んだ歌。

この三十一番歌は、
雪を月明りに見立てているわけだが、

それ自体はステレオタイプで、
特に面白みはないものの、

初句の「朝ぼらけ」という語が、
歌語としては特殊というか、
かなり特徴的ではある。

ということで、替へ歌の方は、
原歌とは逆に、
月明りを雪に見立てることとし、

ポイントである「朝ぼらけ」も、
欠かさないようにした。

第三十二番歌

【原歌】
山川に風のかけたるしがらみは
流れもあへぬ紅葉なりけり
(春道列樹)

【替へ歌】
断ち難き世のしがらみや山川に
あらがふ紅葉を手に取ってみる

原歌にある「しがらみ」とは、
川中にある柵のことで、

風に散らされた紅葉の葉が、
なかなか流れない様子を、
柵に見立てている。

それだけではちっとも面白くないのだが、
「しがらみ」には当然、
「世間のしがらみ」という意味も込められているわけで、

替へ歌では、
そこがはっきりと分かるようにしてみた。

原歌が、いかにも風流に見せながら、
ちょっとした鬱屈を秘めているのに対し、

替へ歌の方は、
そのネガティブさを前面に出したのだけれど、

いかにも王朝和歌の歯痒さと、
現代和歌的なストレートさとの対比を、
分かっていただければ幸いである。

あとは蛇足だけれども、
原歌では流れそうで流れない、
もどかしい紅葉をただ描写しているだけだが、

替へ歌では、
それを手に取ってあげた。

その行為は、
紅葉にとっての救いなのか、

それとも、
この人物にとっての慰めなのか、

そんな微妙な感覚も、
ぜひ味わっていただければと。