第五十七番歌

【原歌】
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影
(紫式部)

【替へ歌】
懐かしき友にすれ違ひ振り向けば
ただ月影の夜半の街かな

原歌は、詞書により、
旧友との束の間の再会の名残惜しさ、
を詠んだものだと分かる。

まるで月が雲に隠れるかのような、
あっという間の再会だったと、
後半が前半の喩えになってはいるものの、

実景なのか比喩なのか、
どちらとも取れる絶妙な表現が、
この歌に気品のようなものをもたらしている。

替へ歌の歌意は、
人混みでふとすれ違ったのが旧友だと気付き、
すぐに振り返ってみたのだが、
すでに友の姿はなく、
月の光が注ぐ街並があるだけだった、
というもの。

懐かしい友に限って、
出会うのは一瞬であり、
その感覚は古今で違わない。

第五十八番歌

【原歌】
有馬山猪名の篠原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
(大弐三位)

【替へ歌】
忘るるや猪名の篠原恋しくも
有馬の山を共に見し頃

原歌の作者、大弐三位は、
直前の紫式部の娘。

57番歌が絶妙な感覚を有しているのに対し、
こちらはやや平凡というか、

前半を丸々序詞とし、
風が吹く「そよ」という擬音から、
後半を導くという、まぁよくある手法の歌。

しかも「有馬山」「猪名」という、
固有名詞(歌枕=地名)までも詠み込まれているので、

替へ歌にするにしても、
あまり自由が利かない。

なので、原歌の、
「あなたのことは忘れませんよ」
という歌意はそのままに、

その人と共に有馬山を眺めたという設定で、
記憶に具体性を持たせる形にしたわけだが、

固有名詞も詠み込まないと、
原歌からは離れてしまうので、
その点で、結構難儀した。