第六十一番歌

【原歌】
いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重に匂ひぬるかな
(伊勢大輔)

【替へ歌】
あの春の空を染めにし八重桜
けふここに立ち記憶に散り積む

またもや、女流歌人シリーズ。

ただ、この歌は、
女流歌人特有の粘着感のようなものがなく、

稚拙なほどにさらりと詠まれており、
思わず口ずさみたくなる。

替へ歌については、
「けふ九重」を「けふここに」と、
同音で詠み替えるとともに、

原歌にある春のワクワクした気分を、
現在と記憶の両方で味わう形で、
時間的な奥行きを付けてみた。

第六十二番歌

【原歌】
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ
(清少納言)

【替へ歌】
鳥の音に夜こそ明けぬれ逢坂の
関は許さじ誰はかるとも

こちらも女流歌人らしくない歌なのだが、
六十一番歌が平易だったのに対し、

こちらはかなり理智的で、
いかにも清少納言らしい小難しさ(?)がある。

中国の故事をベースにしているので、
ニュアンスは伝えづらいのだが、

鳥の鳴き声を真似して、
夜が明けたかのように騙しても、
私のガードは固いですよ、

というのが原歌の意味。

それを替へ歌では、
意味を変えずに分かりやすくしたのと、

最後を「誰はかるとも」としたことで、
詠み手のつれなさのようなものを、
強調してみた。

鳥の鳴き声からすると、
夜が明けたようですが、
私のガードは固いですよ、
誰が騙したのかは知りませんが、

って感じかな。