輪島 裕介 著、「創られた『日本の心』神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」(光文社新書)
「演歌」といえば、
着物の姿の歌手がこぶしを利かせ、

二六抜きやヨナ抜き短音階で、
哀愁を帯びた歌詞の曲を唄う、

というイメージが、
誰にでもあると思う。

そしてそんな「演歌」を、
「日本人の心」、
さらには「日本の伝統音楽」、
として捉えている人も、
少なからずいると思われるが、
果たしてそれは正しいのか。

そして、
「演歌=日本人の心」
の図式が出来上がったのは、
いつ頃、何がきっかけだったのか、
について論じた本。

紹介された楽曲の具体例が膨大で、
新書にしてはかなりの読み応えであった。

自分は演歌にはまったく興味がなく、
この本に登場する曲も、
ほとんど知らないものばかりなのだが、

音楽自体に興味がある者として、
我が国の「大衆音楽史」についても、
少しは知っていた方が良いと思い、

時々youtubeの助けを借りて、
あぁ、なるほどこんな曲なのね、
と寄り道しながら、
なんとか最後まで読み終えることができた。
(なかなかしんどかった!)

著者による結論をそのまま引用すると、

「演歌」は「日本的・伝統的」な音楽ではない、
と主張することは私の本意ではありません。
本書で強調してきたのは、
「演歌」とは、「過去のレコード歌謡」を、
一定の仕方で選択的に包摂するための言説装置、
つまり、「日本的・伝統的な大衆音楽」というものを、
作り出すための「語り方」であり「仕掛け」であった

ということなのだが、

「仕掛け」である以上、
「仕掛け人」も必要だし、
「なぜ仕掛けたのか」の理由もあるはずだし、

そして何よりも、
「なぜそれが大衆に受け入れられたのか」も、
解明する必要がある。

それらの疑問を、
社会状況や政治情勢の変化に伴う、
文化や人々の価値観の変遷、
といった観点から説明しており、

扱っているテーマはやや変化球ではあるが、
文化論としての体は十分なしていると思う。

ただできるだけ易しく語ろうとしているせいか、
とにかく具体的な歌手と曲の名前が多すぎて、

全体の論旨よりも、
ディテールが優先になっている感がしなくもなく、

それも読みづらさを感じた理由の、
一つかもしれない。