前田 雅之 著「なぜ古典を勉強するのか:近代を古典で読み解くために」(文学通信)
「なぜ古典を勉強するのか」
というタイトルに惹かれて、
この本を手に取ってみた。

まずは自分の話から。

高校を1年で中退。

けれど、
何がきっかけか覚えていないが、

『伊勢物語』や『源氏物語』などの、
いわゆる「日本の古典文学」に興味を持ち、
東大の国文科へ進学。

某教授とソリが合わず、
丸々2年間大学には行かなかったのだが、

その間に、『源氏物語』や八代集を、
原文で通読しながら、

いわゆる「日本の古典文学」への愛着を、
(おそらく同期の学生以上に)深めていった。

大学卒業後も古典への興味は変わらず、
それから20年以上経つが、

ヘタな現代文よりは、
古文を読んだ方が内容を理解できる、
というぐらいの自負はある。

さて、そんな自分にあらためて、
「なぜ古典を勉強したのか」
と問うてみても、
正直、自信を持った答えは出せない。

古典を通して現代を知るとか、
失われた日本人の心を探るとか、
日本文化のルーツを学ぶとか、

真面目な人(?)ならば持っていそうな答えは、
自分にはない。

ただ、自分は古典が好きなだけで、

「なぜあなたはブランデーではなく、
ウィスキーが好きなのですか?」

という問いと同様、

「なぜ自分は古典が好きなのか」

への答えも、ない。

前置きが長くなったが、
そんな自分がこの本に興味を持ったのは、
いわば必然なわけで、

自分への問いの答えは出せないまでも、
(そもそも答えを出そうとは思っていないが)

何かしらの気付きが得られるのではないかという、
期待はあった。

・・・・・・
読後の率直な感想としては、
大いに期待ハズレ。

まず、これは最近人文系の書物に多い傾向なのだが、
中身が一貫した評論になっておらず、

過去に別の所に掲載された文章や、
著者のブログの寄せ集めであること。

百歩譲って、寄せ集めであっても、
論旨や内容に筋が通っているのであれば良いが、

共産党の存在意義やら、
天皇制の話やら、

「なぜ古典を勉強するのか」
から程遠いとは言わないまでも、

タイトルとは直接関係のない文章が、
十把一絡げにまとめられている。

そして問題は、内容で、
「?」な例を挙げるならば、

著者は「八代集」の編纂が、
政治的不安定な時期に行われていることに着目し、

がむしゃらに文化創造に駆り立てる力が
戦争・戦乱にはある。

と断言しているわけだが、
ちょっと待て、と言いたい。

そもそも「八代集」の編纂ごときを、
「文化創造」というのは大袈裟すぎる。

所詮勅撰和歌集などというのは、
僕に言わせれば、天皇の道楽であり、

それが編まれたことよりも、
そこに撰ばれた個々の歌について、
本来は着目すべきだ。

八代集が混乱の時期の産物であることを認めたとしても、
それを構成する和歌は、
必ずしも混乱の時期が産んだものではないし、

ましてや、ほとんどが王朝貴族による作であり、
当然「文化創造」などではない。

また、「八代集」が戦争・戦乱の時期に生まれたからといって、
戦争・戦乱が「八代集」を生み出した、
ということにはならず、

それは必要条件と十分条件の、
都合の良いすり替えに他ならない。

ということで、
この本の形式・内容のいずれの点においても、

僕は共感できなかったし、
得ることも皆無であった。

もしこのタイトルに惹かれる方がいるとしたら、
参考にしていただきたい。


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