ヒトは攻撃的では、
正常な社会を築けない。
ヒトの存亡は、
いかに友好的になれるか、
にかかっている。
それが原題の、
「The survival of the friendliest」
が表す意味であり、
本文の主旨でもあるわけだが、
それを「家畜化」と呼ぶのは、
あまり納得がいかない。
(※ちなみに「家畜化」というのは、
邦訳者の「やり過ぎ」ではなく、
おそらく原文では本文中に、
「家畜化」(domesticated)というワードが、
頻繁に出てきているのだと思う。)
ヒトが友好的に社会を運営するのと、
イヌやウシがヒトに飼われることで、
共存共栄することは、
まるで意味合いが違うと思われるし、
「家畜化」と呼べるのは、
後者の方だろう。
後半、著者は、
ヒトの「家畜化」を、
逆の意味で用い出す。
つまり、ヒトが他者を、
暴力で征服することだ。
こちらの方は、
「家畜化」と呼ぶに、
ふさわしいのかもしれない。
いずれにせよ、この本は、
健全なコミュニティを築くためには、
友好性が欠かせない、
ということを述べているだけで、
何も「家畜化」などという、
大袈裟なワードを持ち出さなくても、
普通に説明ができるし、
特に新鮮味がない内容だと、
自分には思われた。