もうひと月半も前の話で、
いささか恥ずかしいが、
桜の盛りが終わり、
緑とピンクのコントラストが、
艶やかに美しい、
いわゆる「葉桜」の状態が、
自分は好きである。
見た目だけではなく、
「葉桜」という字面と、
言葉の響きにも、
得も言われぬ美しさが、
あると思う。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」
兼好法師の、ややツンデレ気味の、
美意識を待つまでもなく、
緑とピンクのコントラストは、
既に王朝人の美意識を捉えていた。
「見渡せば 柳桜を こきまぜて
都ぞ春の 錦なりける」
古今和歌集収録の、
素性法師の一首である。
下の句が、
いかにも「古今風」の見立てで、
やや興醒めではあるものの、
二色の絶景への感動を、
素直に表現している。
さてでは、「葉桜」という語が、
いつから使われ始めたのかと、
調べてみると、
記紀、万葉集、竹取物語、
伊勢物語、土佐日記、
八代集、蜻蛉日記、枕草子、
源氏物語、紫式部日記、更級日記、
大鏡、方丈記、徒然草、
主だった古典作品には、
「葉桜」という語は登場しない。
我が家自慢の、
古語辞典七兄弟を引いても、
「葉桜」は出てこない。
では国語辞典はどうかといえば、
広辞苑には説明のみで例はなく、
日本国語大辞典には、
さすがにいくつも例があったが、
どうやら18世紀の江戸時代中期ぐらいが、
文献上の初出のようだ。
念のため、諸橋大漢和の、
「葉」の項を見ると、
熟語の第一番目に、
「葉桜」があり、
「葉桜に 意地の悪さは 風もなし」
という俳諧が例として載るが、
「花が散って葉ばかりになった桜」
という解説は、
どうもいただけない。
「葉ばかり」になってしまっても、
確かにそれは「葉桜」なのだろうが、
やはり二色が混じった状態こそが、
「葉桜」の魅力だろう。
ともあれ、
「葉桜」という用語の歴史が、
それほど古くないことは、
確認できた。
やっぱりこの魅力的な語は、
俳諧のセンスなのだろうか。