日本という狭い国土の中で農耕民族であるということは、
これはもう、土地への束縛以外での何物でもなかった。
庶民も貴族も、「生活」することとは「定住」することであり、
生活する土地を離れるということは、異世界へと入っていくことと同義だった。
だから、「貴種流離」のようなキーワードを持ち出すまでもなく、
諸国転戦の日本武尊や義経が早くからヒーローたり得たわけだし、
「伊勢物語」や「源氏物語 明石巻」が「あはれ」を誘うというのも、
土地を離れることへの、不安・恐怖が根底にある。
しかも中世以前は、江戸時代以降のように街道が整備されていたわけではない。
どこまでも続く山道を、物の怪や強盗に怯えながらの移動(=道行)だった。
そしてこのような非日常の感覚は、そのまま文学の題材として採用されやすい。
さきほど挙げた伊勢や源氏にとどまらず、
多くの物語や和歌の題材となり、中世以降も、能や浄瑠璃、歌舞伎へと吸収された。
特に浄瑠璃や歌舞伎に取り込まれた場合、
道行は、本来それがもっている悲劇的な要素の有無にかかわらず、
場面を転換するという、舞台効果の役目も担うことになるため、
オペラの間奏曲のごとく、途中で挿入されることがお決まりのようになってくる。
するとその道行部分が、本来の「語り」の部分とは趣向を変え、
より音曲的要素や舞踊要素と結びつくやすくなるというのも、理解ができる。
さて今回の演奏会は、そんな浄瑠璃に取り込まれた道行を、
一中節、宮薗節、義太夫節、清元節の四ジャンルで、
しかも各分野の人間国宝の語りで聴く、という贅沢な企画である。
去年お世話になった先生も出演してらしたので、
楽しみにして聴きにいった。
各演奏については、それぞれのトップの方々が演じているわけだから、
素晴らしくないわけがなく、
四つの浄瑠璃の違いがよくわかり、大変興味深かった。
特に、個人的には普段あまり耳にしていない一中節(「柳の前道行」)の、
繊細な語りと音楽的な展開、そして何よりも宇治紫文さんの声が素晴らしく、
テキスト自体はむしろ退屈なものなのに、
芸の力でここまで魅力的にできるものなのかと、感心させられた。
あとは、宮薗千佳寿弥さんの三味線、清元清寿太夫さんの声も絶品。
(義太夫節については、あえてコメントを避けたい。)