・天文シミュレータソフト「ステラナビゲータ」。
なかなか買うタイミングがなかったのだけれど、
今年に入ってやって手に入れた。
年代と場所を指定することで星空を再現したり、
惑星や恒星まで疑似移動してみたり、
太陽系を外から眺めてみたり、
およそ天文に関することであれば、何でもできるといっても過言ではない。
都会に住んでいると、星空なんて見ることができないけれど、
七夕の夜ぐらいは・・・とというときなどに、
手軽に楽しむことができる。
2016年7月7日23時ごろ、東京の東南東の夜空はこうなる。
・「こと座」「白鳥座」「わし座」あたりは有名だけれど、
上の図を見ると、その周りに結構見慣れない星座もある。
個人的なお気に入りは、織姫(こと座・ベガ)と彦星(わし座・アルタイル)の間、
ちょうど天の川の真ん中に漂うように位置している「矢座」だ。
星座の数は全天で88、
そのうち、古代ギリシャからあるのは「プトレマイオスの48星座」と呼ばれるもので、
それ以外の40個は、後世になって追加されたものである。
この「矢座」は、オリジナルの「プトレマイオスの48星座」のひとつなので、
れっきとした起源を、ギリシャ神話に持っている。
その話はこうである。
プロメテウスは火を人間に与えた罰として、
ゼウスにより磔にされ、
肝臓を鷲に喰われることになった(この鷲が「わし座」)。
痛みに耐えかねて気絶すると、
次の日には肝臓が復活し、また鷲がやってきて喰われる。
そしてまた肝臓が復活し、、、と終わりのない苦しみを繰り返していた。
それを見かねた勇者ヘラクレスが、
ヒュドラの毒を塗った矢でこの鷲を射殺し、
プロメテウスを救出した、という話。
その時の矢が、この「矢座」なのだけれど、
肝臓が次の日に復活する、というのが、
どうも二日酔いの喩なのではないかと昔から思っていて、
自分も二日酔いがつらいときは、
どこからか矢が飛んできて、鷲を射殺してはくれまいかとひそかに願うのではあるが、
なかなかそうはいってくれない。
みんな人は、彦星(わし座・アルタイル)に願い事をするのだけれど、
僕は彦星を射殺して欲しいとお願いするのである。
そして脳内では「星に願いを」が流れる。
数多いディズニー名曲の中でも、屈指の名曲。
あそこで歌われているのは「ベツレヘムの星」なので、
残念ながら七夕とは関係ない。
・「万葉集」の時代には、
「たなばた」以外にも「なぬかのよ(七日の夜)」という呼び方もあり、
人麿に、こんな和歌がある。
ひととせに 七日の夜のみ 逢ふ人の 恋も過ぎねば 夜は更けゆくも
夜はすぐに更けてゆくのに、満足に恋もできない、という、
逢瀬のはかなさを七夕に譬えたシンプルな歌なのだけれど、
「恋も過ぎねば 夜は更けゆくも」
の部分がどうもしっくりこない。
「万葉集」の原文には、
「一年邇 七夕耳 相人之 戀毛不過者 夜深徃久毛」
とあり、第四句は「恋も過ぎずは」と読んで、
「恋することが足りないなぁ 夜は更けてゆくのに」とするのが、
ぴったりだと思うのだけれど、どうだろうか。
あまり知られていないかもしれないが、
「万葉集」の歌には、上記のような「怪しい読み方」が多くある。
「七夕耳」は「たなばたのみ」だと音数が合わないので、
「なぬかのよのみ」と読むわけだけれど、
実は本当の正解は、人麿にしか分からない。
・平安時代、七夕には神聖な行事としての相撲が行われていた。
「五色(ごしき)の短冊~♪」と歌われる五色が、
相撲の幕にも使われているのは、そこに由来している。
・日本では牽牛が川を渡って織姫に逢いに行くのだけれど、
中国では、織姫の方から牽牛に逢いに行くらしい。
国民性の違いがこんなところにもあるのか、と興味深かったのだけれど、
その後に、韓国では男女双方から逢いにいく、という話を聞いて、
こういう文化の中間形態もあるのかと、ますます興味を掻き立てられたのだが、
よく考えたら、双方で川を渡ったら、川の真ん中で出会ってしまうので、
逢引どころではなくなるのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
ちょうど、矢座があるあたり。
・そういえば、「タマヨリヒメ」の神話では、
川の上流から丹塗矢が流れてきて、
それを拾ったタマヨリヒメが、
あんなこんなで、子供を産んだということになっていて、
矢が男性のシンボルとして描かれている。
織姫も牽牛に満足できなかったら、もしかしたら矢に浮気を・・・
なんて話は、ロマンチックじゃなくなるのでやめておこう。