思えば源平の合戦というのは、
公家社会から武家社会への転換を示す出来事であったと同時に、
陸軍(源氏)vs水軍(平家)の全面対決だったという点も見落とせない。
「陸の雄」であった源氏が、「船」に運命を託さざるを得なかったエピソードが、
源平合戦の前後に、少なくとも一度ずつある。
前後のうちの「後」の方から先に書くと、
源氏最後の将軍実朝が、自らの命運は北条氏の手中にあると確信したときに、
中国へ渡ろうと決意をし、鎌倉の浜で船を造らせたという件。
結局この野望は、造船の失敗という呆気ない理由により断たれるわけだが、
残る一方の、前後の「前」のエピソードについては、
歴史的にも、また物語的にも、それなりの意義がある。
頼朝という人は、政治家としては「超」一流だったと思っているが、
おそらく武人としては、二流、少なくとも「並」であった。
危険分子として伊豆に配流されていた頼朝が、
平家打倒を掲げて挙兵したのは、あまりにも無謀ではなかったか。
その証拠に、所詮の石橋山の戦いでは惨敗を喫し、
頼朝率いるゲリラ軍はほぼ全滅、
もしもこのときに頼朝が討たれていたならば、
その後の歴史は大きく変わっていたであろう。
しかし彼には、「超」一流の政治家には欠かせない「運」があった。
史書が伝えるところによれば、
わずか数名だけ生き抜いた頼朝軍は、
相模から安房(房総半島)へと「舟」で脱出し、
捲土重来を期すこととなる。
ここから先は、誰もが知っているとおりだが、
不慣れな海路に頼ってまで逃れざるを得なかったということ自体が、
事態の緊迫度を物語っているように思う。
さて、
石橋山で敗れた頼朝が、潜伏し安房へ向かったと言われているのが、
真鶴。
このたび奥湯河原で湯浴みをした帰りに、
旨い魚でも食おうと思い、足を運んだ真鶴港のとある料理屋で見つけたのが、
真鶴の地酒の、この「頼朝船出」だ。
そもそもマズイ酒はこのブログでは紹介しないから、
載せたということは旨いわけなのだが、
その旨さがハンパない。
まずアルコール度が13%、
これは、「強い酒=旨い酒」だと思っている前近代的な人以外ならば、
この微妙にアルコール度数を落とした日本酒というのが、
どれほど上品な味わいを醸し出すのかを、理解いただけると思う。
そして、甘みは抑えてあり、
何よりも「生貯蔵酒」なので、冷やしてクイクイと、
個人的には「ミュスカデ」のような口当たりの良さとキレ。
他の酒には申し訳ないが、
最近飲んだ中では、これがダントツ。
そもそも一緒に食した魚が最高だったわけで、
はい、これ!
地元でとれたての、刺身用の金目鯛の煮付け!
たぶん、東京で食べれば3~4,000円はすると思うけど、
これにご飯とみそ汁と小鉢がついて、2,000円を切るというのは、最高すぎる。
煮付けの濃厚な味わいと、「頼朝船出」の上品なキレとが、
都会では味わえない、ローカルならではの贅沢を教えてくれた。
帰ってきて調べてみたら、
「頼朝船出」は通販でも出回っていないようなので、
重いのを厭わず、二本買ってきておいてよかった。
この酒と金目を食べるためだけに、
真鶴を訪れる価値はある。
最後に、一応、頼朝さんが潜伏していたとされる「鵐窟」(しとどのいわや)。
関東大震災で土地が隆起するまでは、
波に打たれる断崖絶壁に開けられた穴だったらしい。