絵画の中にあるメッセージ性というか、
観る者に何かを訴えかけてくるあの感覚、
そういう激しさをもった画家はそれほど多くない。
ゴヤはそのうちの一人だ。
ゴヤには、マドリードの「サン・イシードロ祭」を描いた作品が2枚ある。
1枚めは、42歳のときの「サン・イシードロの牧場」。
近景・中景・遠景を見事に描き分け、
人々の表情や明るい色遣いから、
平和で楽しい様子が十分に伝わってくる。
緩やかなV字型の地面に人々が重なり合う近景、
ディテールを大胆に省略しつつも、
行楽を満喫する無数の人々を描いた中景、
そして河を挟むことで一呼吸をおき、
あえてぼかしたように描かれた遠景。
これは数少ないゴヤの風景画の中でも、
傑作の部類だろう。
それから約30年後、いわゆる「聾者の家」に籠り、
「黒い絵」と呼ばれる作品群を描いたわけだが、
その中の1枚に、同じく「サン・イシードロの巡礼」がある。
果たしてこれが、同じ画家が同じ風景を描いた作品であろうか、
と思うほど、先の1枚からの変容度合が凄まじい。
色遣いも人々の表情も、
「サン・イシードロの牧場」とはまるで対照的で、
最前列でギターを奏でる男などは、
歌っているというよりは、不安と恐怖に絶叫しているかのようである。
30年前の作品が「希望」であるならば、
こちらは「絶望」。
歳月と運命が、この芸術家を如何に蝕んでしまったかを、
如実に示しているようで、胸を強く打たれる。
芸術作品の価値は、
作者がそこに、どれだけ魂を込めたかによるのであって、
結果として、鑑賞する側にどのような気持ちを起こさせるかは、
芸術の価値とは関係ないと僕は考える。
ある人が見れば、この「巡礼」は不快で汚い絵かもしれない。
けれども、特に「牧場」と比較することで、
この絵に描き込まれた作者の人生観が強烈に訴えかけてくるがゆえに、
これは一級品の芸術といえるのだ。