言わずもがな、江戸時代は我が国のルネサンスであり、
音楽、絵画、文芸などの各ジャンルで、
人間臭い、ある意味自然主義ともいうべき、
庶民の価値観に根付いた文化が花開いた。
そうなると、下ネタを含んだ作品が増えるのは、
当然といえば当然であって、
この本は、そうした江戸文芸における下ネタを集めた、
アンソロジーである。
下ネタを美文のオブラートに包んだものもあれば、
直接的で下品なものもある、
その玉石混淆感が、まさに江戸文化の象徴であり、
現代の我々は、それを理屈抜きに享受すべきなのである。
それにしても、江戸文学の先陣を切ったと言える、
井原西鶴の『好色一代男』が、
まさにズバリ色好みの内容であったことは、
その後の作家にとっての、大いなる励みであり、
指針であったのかもしれない。
僕個人の意見を言わせてもらえば、
春画や下ネタ満載の文芸というのは、
ポルノ以外の何物でもないのだが、
当時、吉原などの遊郭に入り浸れる者は、
ほんのひと握りだったはずで、
大部分の青年男子は、
「一拳を昇降して無量の罪科を即滅せん」(沢田名垂『阿奈遠加志』)
ことに夢中だったはずであり、
そのためには、この本に掲載されているような、
ひっそりと黙読する猥本(死語?)も必要だったに違いない。
ただそんな中でも、
優れた作家による優れた作品もあるもので、
例えば、為永春水の『春色辰巳園』の、
いよいよ濡れ場(!)というタイミングで、
一中節を挿入し、それが終わると情事も終わっているというような、
音曲と文芸の融合効果を狙ったようなプロの技もあったり、
やはりなかなか、
江戸文学は奥が深いというか、
日本文学を愛する者の終着点は、
ここかな、と。