邦楽の源流を遡ると、仏教音楽である声明(しょうみょう)に辿りつく。
百聞は一聴に如かず。
これは最澄が中国から持ち帰ったとされる「天台声明」だが、
不思議なのは、前半の独唱部分、
グリッサンドやビブラートを効かせたこの声が、
まるで弦楽器のように聞こえるということだ。
そして後半のユニゾンにて和する部分は、
雅楽の斉奏のように聞こえるではないか。
西洋音楽、たとえばグレゴリオ聖歌などを聴いても、
それが楽器の音に聞こえることは、まずない。
その違いは、一体何なのだろうか、
というのは、大学の卒論ぐらいは書けそうなテーマであるけれど、
おそらく西洋の器楽というのは、
声楽に対するアンチテーゼとして誕生したのに対し、
邦楽においては、純粋なる器楽曲というのは存在せず、
常に声楽とセットであったことと関係があるのではないだろうか。
たぶん、音響学的に波長とかを調べれば、
すぐに真相は分かるのだろうけれども。