古井 由吉 著「こんな日もある 競馬徒然草」(講談社)
1986年から約30年間、
著者が他界する前年まで書き綴った、
競馬についてのエッセイ。

冬の日に照らされて散る葉には、
風にうながされるのもあれば、
風の合間の静まりに、どういうものか、
一斉にはらはらと落ちるのもある。
燃え盛った紅葉に、わずかな風が吹き付けても、
葉が騒ぎ立って、紅の嵐のように見えることもある。

というような、味わい深い文章もあるけれども、
基本的には、

トーセンジョーダンが先頭に立って、
馬群は淡々と行く。
ブエナビスタは中団のうしろ目の内につけた。
向正面の奥深く入って馬群のペースが落ちたように見えた。
その時、好位につけていたヴィクトワールピサが押して二番手にあがった。
ブエナビスタは中団を守っていた。
ここが少し慎重に過ぎたか。
四コーナーを引き続きトーセンジョーダンが先頭でまわり、
ヴィクトワールピサがそのすぐ外を、
ノーマークで楽にまわり、先頭に立った。
ブエナビスタがなにかまた用心深い脚で
馬群をまくって直線に入った時には、
先頭との差は八馬身ほどもあったのではないか。

というような、
徹底した「競馬リアリズム」による文章が大部分を占めており、
競馬を詳しくない人には、
何のことやら分からないに違いない。

僕が中学時代の悪友(?)に誘われて、
競馬の道に踏み出したのが1990年、
アイネスフウジンのダービーの年だった。

なので、このエッセイが描く時代と、
僕の競馬歴は、
ほぼほぼ一致しており、

競馬そのものというよりも、
自分の若かりし頃の思い出と重ねながら、
なつかしい気持ちで読むことができた。

知識人や文化人が競馬について触れるとき、
まるで人生論であるかのように、
語られることが多い。

確かに競馬を取り巻く種々の要素が、
人生の各断面の縮図であることは間違いないけれども、

このエッセイの素敵なところは、
そんな生臭さは微塵も見せず、

上に挙げたような徹底したリアリズムで、
競馬そのものを楽しんでいる点である。

そして一流の作家が、
心底から愛した趣味を、
心底楽しそうに語るとき、

「結果」として、
そこに人生の縮図が浮かび上がってくる。

そんなエッセイである。