プラトン 著「ソクラテスの弁明 クリトン」(岩波文庫)
哲学は、どうもニガテすぎる。

正直、内容自体は大したことないのよ。
量子論レベルが理解できれば、
どうということはない。

ただ問題なのは、
文体がややこしすぎる。

この本も然りで、
プラトンお得意の対話からなる作品なのだが、

格調高く、かつ、
ロジカルさを表現したいのは分かるけれど、

少なくとも対話である以上、
もう少し理解しやすい日本語訳に、
できないものなのか。。

なので、書かれていることの、
半分も理解できているかは怪しいが、

その強烈な思想と言動とで、
世間を惑わせた罪により、
死刑を宣告された哲人・ソクラテスが、

裁判所で弁明を行った際の、
迫力、そして何と言っても、

言葉は武器になり得るのだという、
信念というか執念というか、

とにかく、
弁論とは人間に与えられた最終兵器である、

ということを、
十二分に知らしめてくれる作品であった。

もちろん、実際にソクラテスが、
このように語ったのかは定かではなく、

弟子であるプラトンの、
筆の力によるところが大きいわけだが、

ソクラテスが語り、
プラトンが記す、
そしてそれを媒介するのが「言葉」、

要は、単なる音声であり、
または文字であるに過ぎない「言葉」が、

ときにいかなる武器や兵器よりも、
強く人を揺さぶる様を、
生々しく伝えてくれるのである。

人を動かすのは暴力ではなく、
言葉である、

そのことを知れただけでも、
読んだ甲斐はあったのかもしれない。

併録されている『クリトン』は、
上記の裁判後、

有罪が確定して投獄されたソクラテスと、
旧友のクリトンとの対話である。

逃亡を勧めるクリトンに対し、
それを頑なに拒むソクラテス。

『弁明』同様、
ここでも意気揚々と自らの信念を述べる、
哲人・ソクラテスは健在であるが、

『クリトン』では、
国家、特に「法」と、
自らの生き方とのズレを、
いかにコントロールするのか、

に力点が置かれていて、
これもまた、現代を生きる我々にとって、
興味深いテーマであろう。

もう一度言おう、
我々は武器ではなく、
言葉で闘うべきなのだ。