アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界

どんよりと曇った肌寒い土曜日、何年かぶりに用賀駅で降りる。

不自然に整備された駅ナカを抜けて少し歩くと、
緑が多く、水路があり、いかにも世田谷らしい風景になる。

細い緑道を通り抜けると、自動車でごった返した環八通りに出る。
そこを右折して、向かい側に渡ると、緑深い砧公園だ。

車道の喧騒と、公園の静寂のコントラストを体感しつつ、
左に折れて、公園の奥に向かって進む。

16時過ぎ。まだ明るいので、子供連れや若者が休日を満喫している。
ほどなく、美術館へ着く。

果たして「素朴派」という呼称があることを初めて知ったが、
要するに、職業画家ではなく、素人の画家ということ。

もちろん、ピカソだろうがセザンヌだろうが、最初は誰もが素人だったわけだが、
平たくいえば、「画家としての教育を受けていない画家」ということだろう。

アンリ・ルソーは、もともと税関吏で、絵を描き始めたのは40歳のころ。

そのルソーを始め、今回紹介された画家たちの作品は、
観るものに、創作のパワーというか、エネルギーを強烈に伝えてくる。

「一流の」画家たちの作品は、向こうから理解を求めてくることが多い。
しかし、「素朴派の」画家たちは違う。
自らが強烈なメッセージを発し、創作とはかくあるべきだと、訴えてくるのだ。

ほんの息抜きに、、なんて思って足を運んだのが甘かった。
次の予定に遅刻するぐらい、食い入って鑑賞してしまった。

中でも、カミーユ・ボンボワの豊富な色彩と大胆な遠近法、
久永強のシベリアの追憶と飾らない表現は、
僕の記憶に鮮明に刻まれた。

時が経つのも忘れて美術館を出ると、砧公園は驚くほど、闇だった。

東京都内で、ここまで闇を感じたのは、
2年ほど前の冬に、夕暮れの谷中墓地を歩いたとき以来かもしれない。

そんな闇にそびえる、世田谷市場と清掃工場の間を抜け、環八に出る。
自動車の往来は多いが、歩行者は極めて少ない。

20分ほど歩き、千歳船橋駅に着く。
駅前の喧騒が、なぜか懐かしく感じられる。

世田谷区は、広いな。