これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
百人一首にも選ばれている蝉丸の歌で、
収録自体は「後撰集」だけれども、
如何にも古今集時代らしい機智に富んだ歌で、
しかし何度も口ずさんでいると、とても現代的というか、
「機智に富んだ」という以上の、
なかなか味わい深い名歌だと思われてくる。
二週間ほど前、仕事で打ち合わせに向かうときに、
普段乗らないような電車に乗ったのだが、
そのとき、「関根さんですか?」と声を掛けられた。
声の主を見れば、もう7~8年ぐらい会っていない知り合いだった。
こんなに人が大勢いる都会で、
しかも普段乗らない電車の、たまたまこの車両で出くわすというのは、
何という奇遇だろうと思ったときに、
冒頭の蝉丸の歌が脳裏に浮かんだ。
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行く人もいて、帰る人もいる。
お互い知り合いの人も、そうではない人も、それぞれの人生が、
この逢坂の関で偶然にも交わり、そしてすれ違い別れてゆく。
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にぎやかな関所を眺めながら、人生の希薄さや偶然、
そして無常観ともいうべき、不思議な感覚に対して、
冒頭の「これやこの」という主観的な言葉で、
感慨深さを吐露している。
詠み手の蝉丸には、
謡曲「蝉丸」に描かれているような悲劇的な逸話もあり、
それが一層、この歌の内容を濃いものにしているのだろう。
いま、かつての逢坂の関のあたりに行くと、
脇の道路を、車やトラックがひっきりなしに通り過ぎてゆく。
時代が変わって、通り過ぎるのが人から車に変わっても、
蝉丸が詠ったその場所は、姿を変えながら、そこにある。
そんなこんなを考えると、世の中というのは、
とても言葉では語れないぐらいの不可思議にあふれていて、
蝉丸が「これやこの・・・」と冒頭からつぶやきたくなった気持ちも、
よく分かる気がする。