1957年に書かれた、主にピカソについてのエッセイで、
三好十郎の著作を読むのは、実はこれが初めてだ。
僕は、ヒトの五感などというのは非常にいい加減なものだと思っていて、
いわば脳のアンテナなわけで、その人の脳がどのような状態なのかによって、
アンテナの精度は著しく異なってくる。
だから、別に高いワインを旨いと思う必要はないし、
ベートーヴェンを素晴らしいと感じなければならないこともない、
と考えている。
そういう意味で、この三好十郎の文章には、共感できる部分が多かった。
ピカソの代表作「ゲルニカ」を評している部分を、以下に、引用しよう。
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戦争の悲惨と平和への希望を無感動な念仏として抱いている文化的スノッブを予想して描かれた
思いつきの平俗なパノラマだ。
同じくショウマン画家にしてもマチスには美があった。
絵画に対しても観客である一般大衆に対しても謙虚なものがマチスにあったからである。
とにかく美しいパーフェクトリイを提供して人々の眼に奉仕しようという心がマチスにはあった。
ピカソはただ人々をビックリさせて拍手させようと思うだけだ。
人がビックリしている間はそれで良いがビックリしなくなると退屈する。
(中略)
近代の科学性・自我意識・矛盾・人間性などは彼には全く無縁のものであって、
彼ほど本質において古めかしく、その古めかしさを新しく見えるもので包み込んでいる画家は
珍しいといえよう。
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公序良俗に反しないかぎり、何を良いと思い、何を駄目だと感じるかは、
それこそ思想の自由であると思っている。
その自由さえも制限して、感覚の方向性を強制的にコントロールしようとする風潮は耐え難く、
僕が、テレビや新聞から遠ざかりたい理由のひとつもそこにある。