そんなに疲れているわけではないけど、久々に温泉でリフレッシュしたく、
また、せっかく津軽三味線を齧ったのだから、今のうちに行っておこうと思い、
一泊で津軽旅行に行くことにした。
いつもならレンタカーで行くところなのだが、
なにせ遠いのと、去年雪の中のドライブで酷い目にあったのとで、
久々に時刻表片手に、のんびり列車で行くことにした。
のんびりといっても、東京から新青森まで新幹線で3時間半。
新青森から弘前まで各駅停車で30分、そこからさらに宿までバスで30分。
計5時間ほどで津軽まで辿り着けるのだから、まぁ近いものだ。
新幹線に乗りながら、時刻表を眺めていると、今更ながら不思議なことに気付いた。
僕の中の常識では、当然ながら在来線と新幹線とは並行して運行しているはずだった。
つまり、東京から(新)青森までは、新幹線でも行けるし、
それと並行して走る在来線(東北本線)でも行くことができるというように。
しかし路線図を見ると、東北本線は途中の盛岡で終わっている。
盛岡~青森間はどうなったのかというと、新幹線開通とともに民間に売却され、
盛岡~八戸は「いわて銀河鉄道」、八戸~青森は「青い森鉄道」になっているそうだ。
ローカル線ならまだしも、東北本線のような幹線を手放すとは、JR東日本も思い切ったものである。
盛岡を過ぎた辺りから、雪景色になる。
とはいっても、もう3月なので、雪国というほどでもない。
新青森の乗り換えで20分ほど待つが、さすがに寒い。
弘前までの普通列車は、意外にも横掛けのロングシートで、
ノートパソコンをいじってるサラリーマン風の人などもいて、想像していたよりもだいぶ混んでいる。
そして、音を立てるのが申し訳ないぐらい、静かだ。
静かな列車が、何もない雪景色の中をひたすら走ってゆく。
途中、「撫牛子」という駅があった。
「ないじょうし」と読むのらしいが、さすがにこれは読めない。
弘前駅に着いた。
弘前市は、鎌倉市や台東区よりも人口が多いはずなのだが、駅を出てみると思いのほか閑散としている。
駅前に大きめなホテルが2~3建っているが、桜の時期以外は相当ヒマに違いない。
りんごの街っぽい、ポップな郵便ポスト。
ひどくバスに揺られながら、14時頃、宿に着く。
ほぼ同時に雪が降り始めてきた。
目の前に岩木山が眺望できるはずの部屋なのだけれど、モヤっていてほとんど見えない。
夕食まではまだ時間があるので、散歩をする。
岩木山神社は、その名の通り岩木山の麓に位置し、
天気が良ければちょうど鳥居の所から山の雄姿を見上げることができるらしい。
本殿は元禄年代、拝殿は寛永年代のものだということなので、それなりに歴史があるようだ。
神社に着く頃には、雪の勢いがかなり激しくなっており、
以前から積もっていた雪のせいもあり、一面真っ白。
参道の石段も雪に埋もれて単なる坂になってしまっている。
逆立ちした珍しい狛犬。
宿に戻って、温泉、夕食、温泉。
夕食時は、津軽の地酒二種類を、一合ずついただく。
米のせいだろうか、結構甘めである。
米は、「津軽ロマン」。堅めに炊きあがっており、旨い。
食事は全体的に、味が濃い。
中でも梅干は、種を抜いて皮だけをしその葉で巻いて漬けるという、津軽独特のもので、
これが驚くほどしょっぱい。
けれど梅干愛好家の僕としては、これは高得点だった。
食後、広間で津軽三味線の生演奏を聴く。
十三の砂山、あいや節、じょんから節など、
津軽で津軽の方による津軽演奏を聴けたので、それだけで満足。
雪は結局一晩中降り続き、翌朝にはかなり積もっていた。
東京が暖かったせいで油断し、防水性の低い靴を履いてきてしまったことに後悔。
10時半に宿をチェックアウトし、弘前駅で2時間ほど時間ができたので、タクシーで弘前城へ向かう。
司馬遼太郎が「日本七名城のひとつ」としたそうだが、僕は城には詳しくないので、よく分からない。
現存の天守は江戸時代に造られたらしく、それなりに価値があるもののようだ。
城のある弘前公園内には桜の木が豊富で、開花の時期はかなり賑やかなのだろうが、
まだ雪深いこの時期は観光客もほとんどおらず、
しかし雪の白さが、また桜とは違う雰囲気を演出しており、城の美しさを際立たせていた。
雪道に難儀しながら、何とかタクシーをつかまえて弘前駅へ戻る。
ここの列車の発車ベルは「津軽じょんから節」を用いている。
新青森から新幹線に乗り、津軽風駅弁を食べながら、
読書したりうとうとしたりして、あっという間に帰京。
東京駅で降りたら、南国のように暖かく、北国へ行ったことをあらためて実感した。
八重洲の地下街にて串揚げとビール&ハイボールで、今回の旅を〆た。