東京の北部は、荒川に削られた複雑な地形をしていて、
歩いてみると、都心から離れたことによる辺鄙さと相俟って、
本当にここは東京なのか、という感覚に襲われる。
東武東上線の成増駅を降りると、
駅の南側はそのまま道路に面しているのだが、
北側は、2~3階ぐらいの高さに位置しており、
地上に降りるためには長い階段を下る必要がある。
そこから北へ20~30分ほど、板橋区立美術館のあたりまで歩けば、
冒頭で述べた不思議な感覚を味わうことができる。
その美術館のある、赤塚城址の公園のことは、以前の記事で紹介した。
鬱蒼とした、公園というより山、あるいは雑木林と呼んだ方が相応しいエリアの端に、
家康の頃から徳川家に目を掛けられた、浄土宗の乗蓮寺というお寺がある。
さきほど述べた、雑木林の中に、突然壮麗な建物と壁が出現する。
この門を見れば、この寺の格式の高さは分かるだろう。
これ見よがしの、葵紋。
ここには有名な「東京大仏」が鎮座している。
昭和51年に完成したものなので、
そんな新しいものには何のご利益もない、という人もいるが、
それは違うと思う。
だとしたら、奈良の大仏は鎌倉の大仏よりも、有難いものなのか。
そうではないだろう。
仏様だろうとマリア様だろうと、
言ってしまえば単なる偶像崇拝であることは否定できず、
ただ、重きを置くべきは偶像そのものでなく、
その偶像に向き合ったときの、個人個人の心の問題である。
僕は、仏様の形をしたものは、すべて有難いと思っている。
だから、国宝だろうと、素人の描いた絵だろうと、そこに差はない。
心の問題と美術的価値とを、混同すべきではないだろう。
大仏様を取り巻くように、たくさんの彼岸花が可憐に咲いていた。
その中を、大きなクロアゲハが、花から花へせわしなく飛び渡っているのが、印象的だった。
場所が場所だけに、亡くなられた方が蝶になったのか、とも思いたくなる。
五代目薩摩若太夫の墓もあった。
現在も続いている、説教節(説教浄瑠璃)若松派の祖である。
義太夫節と説教節は、無関係ではない。
義太夫をやっている僕にとっては、これも何かの縁であろう。
今度機会があれば、説教節をじっくりと聴いてみたい。
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大仏の お顔も緩む 彼岸花
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