前から行こうとは思っていたのだけれど、
この美術館のアクセスの悪さに一歩が踏み出せず、
結局、(いつものごとく)展示期間ギリギリになってしまった。
往路は電車でのアクセスの良さを重視して、
新宿三丁目で副都心線に乗り、小竹向原で有楽町線に乗り換え、地下鉄成増で降りる、というルート。
急行に乗れたので、三丁目から小竹まで、なんと二駅。
随分便利になったものである。
地下鉄成増を降りると、新宿よりも確実に2℃は低い。寒い。
久々に来たのだけれど、あまり変わってない。
「東京郊外のプチターミナル駅」。
駅前に「小熟女パブ」なるものがあったり、こういう雰囲気はキライじゃない。
東武線の成増駅を南から北へ抜け、本格的に美術館までの道程スタート。
しかし、遠かった。
住宅と畑(!)の中を、30分近く歩くと、
だんだんと景色が鬱蒼としてきて、何やら公園らしきところに着いた。
赤塚公園といって、15世紀に武蔵千葉氏の居城であった「赤塚城」の跡地だという。
公園全体が山になっていて、なるほどこれなら城には最適だな、と思う。
駅からも遠いし(関係ないか・・)。
美術館はこの敷地内にあるはずで、うろうろ歩いていると、いかにも本丸らしき広場に出た。
普通こういう所だと、少年たちがサッカーやらキャッチボールをしているはずなのだが、
誰もいない。。。さすが赤塚城、鉄壁のガード!!
前置きが長くなったけど、無事美術館に辿り着き、鑑賞した。
恥ずかしながら、狩野探幽が三兄弟ということも知らなかったし、
ましてや弟たちの作品など目にしたこともなかった。
今回の一番の目的は、そこにあった。
偉大なる兄にして、弟は如何に?
日本の伝統文化における世襲制というものには、賛否両論あるだろうが、
良くも悪くも、最低限のクオリティは担保される、という特徴がある。
三男の安信は、そうかもしれない。
それなりの技量は発揮しているが、それ以上ではない。
しかしながら、次男の尚信は、長男に勝るとも劣らず、
優美・幽玄、時に豪放。
四十余りにて世を去った短命が惜しいほどの才能だと思う。
例えばこの、「雉子に牡丹図」。
中央左の一羽の雉子がいなければ、平凡な襖絵で終わっていたかもしれない。
しかしこの一羽の存在が、劇的な効果をあげているのではないか。
尾の先から頭にかけての正確なカーブと、それに向き合う乱流とのコントラスト。
そして、この雉子は、もちろん飛んでいるわけではなく、
「奥」にいるのだ。
そのことによって生まれる、奥行き、立体感。
いわゆる正式な遠近法など使わなくても、
この一羽の存在で、さりげなく奥行きを表現しているのである。
そしてこの奥行きは、「襖絵」という建築(立体構造物)と一体化したフィールドであるからこそ、
視覚的な効果を倍増させているわけだ。
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復路は、一応「最寄駅」となっている、都営三田線の西高島平駅まで歩く。
最寄といっても、15分はある。
どうやら風邪を引いたらしい。
都営三田線の西巣鴨から先は初めて乗ったのだが、
終点の西高島平までのしばらくは、地上を走るということを、初めて知った。
どうでもいいことだけど。
[…] その美術館のある、赤塚城址の公園のことは、以前の記事で紹介した。 […]