ラファエル前派展

ロセッティやハントも悪くないが、
やはりミレイの画力はズバ抜けている。

ラファエル前派のひとつの鑑賞法として、
背後に透けて見えるストーリーを楽しむというのがあるが、

ミレイの場合、実は最もストーリー性を感じさせる作品であっても、
逆にストーリーなどは一切無視して、
純粋に絵画として楽しみたいと思わせてくれる。

今回の個人的ベストは、ミレイの「マリアナ」。

 

マリアナ

この女性が何に苦悩し、
何故このような姿勢をとっているのかは、もはや問題ではない。

青のビロードの質感、ステンドグラスの鮮やかさ、
そして、画面中央で曲線を描く女性の姿。

直線が支配しているこの室内において、
モデルを確実に目立たせるためには、
このような大胆なポーズが必要だった。

つまり、これはストーリーが要求した構図ではなく、
絵画としての効果を上げるための、計算からの必然だといえるだろう。

ミレイをもう1枚。「釈放令、1746年」。

 

釈放令、1746年

こちらも、まずは構図の秀逸さが目に付く。

左の看守、夫、子供、そして犬でさえも、
画中にその視線を見せていないのに対し、
ひとり妻だけが、毅然と前を向くというコントラスト。

そして、あたかも(皮肉にも)ラファエロの「大公の聖母」のように、
緩やかなカーブを描く母子に、
首をうなだれる夫の姿勢と、アクセントを添える犬のカーブが、
絶妙なバランス感を保っている。

画面中央やや上、夫と妻が握り合い、
犬が鼻先を突き出している位置に明確に重心を設定することで、
この複雑な構図に力学的な説得力を与えている気がするのだ。

ミレイ以外で面白かったのは、
フォード・マドックス・ブラウンの、長いタイトルを持つ一枚、

「黒太子45歳の誕生日にシーン宮殿で父エドワード3世と廷臣たちに
『クスタンス姫の伝説』を読んで聞かせるジェフリー・チョーサー」。
(「エドワード3世の宮廷に参内したチョーサー」)

 

黒太子45歳の誕生日にシーン宮殿で父エドワード3世と廷臣たちに『クスタンス姫の伝説』を読んで聞かせるジェフリー・チョーサー

ブラウンの作品は、何ともいえない淡い色彩に魅力がある。

この作品では、ひとりひとり異なる方向を向く人物が、
まるでモザイクのように重なり合って、
全体としてひとつの装飾のようになっているのが面白い。

左上にわずかに見える遠景を除けば、
きわめて平面的に描かれているため、
描き手が意図したかどうかは不明だが、
まるで浮世絵のようなデザイン的作品に仕上がっている。

最後に、純粋に女性の顔を魅力的に描くという点では、
ロセッティに軍配が上がる。

ロセッティ

後の、ルノワールを彷彿とさせる。