文学、特に国文学なんていう分野は、新しい解釈をすることが嫌いで、
いかに先人の解釈に逆らわずに、「無難に」読むかを、
信条としている。
そういう意味では、僕が学んだ東大の国文科なんて最悪だった。
どうせ誰も見てないだろうから、もう一度言おう、
「東大の国文科なんて、最悪だった」。
自分の場合、途中で二年サボっていたせいで、
卒業までの時間がなく、仕方がなく国語学の方で単位を稼いだわけだが、
例えば、この中沢新一のような、斬新な解釈を試みる先生がいれば、
また違ったかもしれない。
中沢新一は、色々と物議を醸す人ではあるが、
目の付け方というか、物事に対する切り口はさすがだと思う。
この本のように、大地とエロスという視点で語られた日本文学は、
新鮮であり、清々しい。
思えば、土偶にせよ縄文土器にせよ、
我々の文化のルーツは、「土」、つまり「大地」とともにあった。
一方で、「大地」に束縛されない、流浪の民が生み伝える芸能があった。
大地の文化と、流浪の文化がクロスするところに、
文学を、そして歴史を読み解く鍵があるのではないだろうか。
もちろんそこには、神道や仏教、身分制度、貨幣制度、天皇制の問題など、
さまざまなファクターが紛れ込んでくるわけであるが、
とりあえず文学における問題については、
この本を読めばある程度は明らかになると思う。