当時一流の歌人でもあった鴨長明が、和歌についてのあれこれを、
エッセイ風に書き留めたのが、この「無名抄」。

「方丈記」を読んでも分かるように、明晰かつ論理的な文章を書いた人なので、
非常に読みやすい。

そんな「無名抄」の中に、歌会について興味深いことを書いている。

歌会や歌合というと、名立たる歌人たちがズラリと並んで才を競う、
厳粛で礼節ある雰囲気を想像してしまうが、実際はどうやら違ったようだ。

—————————-
此頃の人々の会に連なりて見れば、まづ会所のしつらひより初めて、
人の装束の打ち解けたるさま、各々が気色有様、乱れがはしき事限りなし。
いみじう十日、廿日かけて題を出したれど、日頃は何わざをしけるにか、
当座にのみ歌を案じてそぞろに夜を更かし、興をさまし、披講の時を分かず心々に物語をし、
先達にも恥ず、面々に証得したる気色どもは甚だしけれど、
地に歌のさまを知りて誉め謗りする人はなし。
—————————-

大雑把に現代語訳してみると、

—————————-
最近の歌会に出てみたところ、場所の様子はもとより、
参加者の服装や態度、行動がだらしないことこの上ない。
わざわざ十日や二十日前に歌会用のお題を出しているのに、普段は一体何をしているのか、
その場で歌を考えて、あとはだらだらと時間を過ごし、歌を披露するときでもあちこちで私語をし、
先輩にも遠慮なく、得意顔で歌について語ることだけは一人前のように見せているくせに、
本当に歌を理解して評価している人はいない。
—————————-

という感じだろうか。

まるで、現代の会社の会議のようで面白い。

 

さて、中世の和歌を語るにあたっての重要なキーワードとして、「幽玄」があるのだが、
感覚としては分かるのだけれども、言葉で説明するのは困難なこの言葉を、
長明なりに明解に説明していることにも注目される。

長いので引用は避けるが、その最後に名フレーズがあるので、そこだけ紹介したい。

—————————-
詞に多くの理を籠め、現さずして深き心ざしを尽くす、
見ぬ世の事を面影に浮かべ、いやしきを借りて優を現し、
おろかなるようにて妙なる理を極むればこそ、心も及ばず言葉も足らぬ時、
是にて思ひを述べ、わづか三十一字が中に天地を動かす得を具し、
鬼神を和むる術にては侍れ。
—————————-

「言葉に多くの真実を込めて、それとは言わずに深い志を尽くす」

このまま人生の教訓にすべき、名文であろう。