「ウィルスは生きている」(中屋敷 均)

「ウィルスは生きている」(中屋敷 均)

「ウィルスは生きている」(中屋敷 均)

 

僕らは♪ みんな~♪生きている~♪
生き~ているから♪○○んだ♪

おそらく誰もが知っている、
「手のひらを太陽に」という唄だけれども、

「○○んだ♪」というフレーズに入る歌詞は、

「歌うんだ」「悲しいんだ」(1番)
「笑うんだ」「うれしいんだ」(2番)
「おどるんだ」「愛するんだ」(3番)

となっている。

この唄においては、
「○○すること」が「生きていること」の必要条件だとしているのだけれども、
これが正しくないのは明白で、

「生きている」から「歌う」のではなく、
「歌う」から「生きている」のである。

つまり「○○すること」は「生きていること」の十分条件になるわけだが、
もちろん作詞家のやなせたかし氏は、そんなことは百も承知で、
厳密な論理関係を逆転させたところに、この唄の面白さがある。

そして、「生きている」と歌われているものは、

ミミズ、オケラ、アメンボ(1番)
トンボ、カエル、ミツバチ(2番)
スズメ、イナゴ、カゲロウ(3番)

となっていて、虫が7つに両生類が1つ、鳥類が1つ、というのは、
少しバランスを欠いている気がしなくもないが、
どうせなら、ここにウィルスを入れておいてほしかった。

もちろんウィルスは歌いも笑いもしないけれども、
「増える」ことができる。

よく生物であるための条件として、代謝や生殖ということが言われるが、
代謝や生殖というのは、増えるための手段なのであって、
生物であることの本質は、増えることそのものにあるのではなかろうか。

増えるというのは、「自己の分身を作る」と言い換えてもいい。
要するにコピーだ。

大胆にいえば、進化とはコピーとミスコピーの繰り返しなのかもしれず、
ウィルスは進化の舞台における演出のようなものだ。

舞台のメインはたしかに役者ではあるが、
そこにすぐれた演出がなければ、誰が演じても同じにしか見えず、
ただ退屈なストーリーが繰り返されるだけとなってしまう。

進化におけるウィルスの役割は無視できないものになっており、
その引き金を、自らの「増える」という行為によって引くウィルスという存在は、
十分に生物と呼ぶにふさわしい資格を備えている。

それがズバリこの本のテーマなわけだけれども、
特に前半の、ウィルスとはどういうものかを述べる部分が素晴らしく、
ウィルスの魅力をたっぷり伝えてくれている。

僕らは♪ みんな~♪
生きている~♪
生き~ているから♪
増えるんだ♪

僕らは♪ みんな~♪
生きている~♪
生き~ているから♪
進化するんだ♪

(中略)

コレラだ~って~♪
ポリオだ~って~♪
ヘルペスだ~って~♪

みんなみんな~♪
生きているんだ♪トモダチなんだ~♪

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