「高倉院厳島御幸記」(源 通親)

「高倉院厳島御幸記」(源 通親)

中世日記紀行集

 

「creativityと移動距離は比例する」という格言(?)があるぐらい、
現代での長距離移動は当たり前になったが、

日本は国土が狭いと雖も、我々は定住が基本の農耕民族であり、
しかもかつての貴族たちにとっては、
移動とはそれこそ命がけの大事件であって、

そのことは『土佐日記』『伊勢物語』『源氏物語(須磨・明石)』などにもよく表れているし、
いわゆる「道行」とは、まさに「魂をすり減らしての移動」に他ならない。

要するに、古代・中世の紀行文というのは、
通常の物語とは別次元の味わいどころがある。

そんなわけで、岩波の新日本古典文学大系「中世日記紀行集」を読むことにしたわけだが、
全部読んでから振り返ると、各作品の印象も薄れてしまうため、
やや細切れではあるが、ひとつひとつ読み終わるたびに感想を綴ることにした。

「高倉院厳島御幸記」は、源平合戦の最中、
高倉院が二十歳そこそこで崩御される前年に、
海路にて厳島神社に参拝したときの様子を、
同行した源通親が記したものである。

往復で二十日あまり、瀬戸内海を陸から離れず航行していたわけで、
おそらくそれほど困難な旅ではなかったはずだ。

しかも当時の西国にはまだ源氏の手は伸びておらず、
途中の福原には平清盛もいるわけで、
むしろ旅に際しての不安な要素の方が少なかったようにも思われる。

しかしどことなく文章全体に暗い影があるのは、
やはりいくら安全を保障されているとはいえども、
都人にとっては旅とは心細いものであることの証拠であり、

さらに作品中に描かれる高倉院は終始機嫌がすぐれず、
都に戻るや否や体調を崩してしまうという場面で終わることも、
翌年に控えた崩御を暗示しているかのようである。

文章自体はむしろ拙く、
表現にも目新しいものはないにもかかわらず、

高倉院の纏う悲劇性ともいうべき性質と、
当時の旅というものの憂鬱さとが、
不思議に共鳴して、あはれを感じさせる作品となっている。

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