「科挙―中国の試験地獄」(宮崎 市定)

ukiyobanareの名に恥じず、
相変わらず世間のニュースには疎いのであるが、

何やら英語の試験か何かで、
一悶着あったらしいことぐらいは知っている。

詳細は分からないけれど、
試験があるのであればそれに向けて頑張ればよいだけだし、

カネがかかるといっても、受験に数十万円かかるわけでもないし、
そもそも教育にはカネがかかるというのは、
古今東西の動かぬ事実。

とはいえ、
金持ちであるからといって、適切な教育が受けられるわけでもないし、
金持ちじゃないと、適切な教育が受けられないわけでもない。

何はともあれ、僕が思うには、
まずは政治家になるためには、
選挙の前に、何らかの試験が必要なんじゃないかな、と。

そうじゃないと、厳しい試験を勝ち抜いてきた官僚とは、
とてもじゃないけど、話すレベルにもいけないんだと思う。

さて、中国が1,000年に渡って採用していた科挙には、
功罪はあるものの、
見習うべきことが数多あるのではないだろうか。

中国では、科挙=選挙なわけで、
とにかく政治家を試験によって採用しようという姿勢は、
単純明快で分かり易い。

そしてその出題も、古典オンリー、
要するに、実務に役立つ知識を問うものではないというのが、
何とも素敵じゃないですか。

まさに「温故知新」を具現化していたともいえ、
批判がありながらも1,000年も続いていたということは、
あの大国を存続させる礎であったことは間違いない。

この本には、科挙の意義についての考察はもちろんだが、
具体的にどのような環境で試験が行われていたかについて、
詳しく描写されており、それが興味深い。

特に、試験場に三日間泊まり込みで答案を作る際に、
気がおかしくなって、幽霊を見る者が続出したといったあたりは、
物語を読んでいる感覚に近い。

能力主義について考える際には、
科挙について触れないわけにはいかず、
この本はその際の良き指針となるだろう。