第二十九番歌

【原歌】
心あてに折らばや折らむ初霜の
置きまどはせる白菊の花
(凡河内躬恒)

【替へ歌】
心あてに触ればや触れむ初霜に
濡れたる如き白肌の夜

次歌の壬生忠岑とともに、
『古今和歌集』の撰者である凡河内躬恒だが、

勅撰和歌集に約200首も採られているにも拘わらず、
やや影が薄いのは、

やはり同じく『古今和歌集』の撰者でもある、
紀貫之の存在が大きいだろう。

貫之がどちらかといえば、
正統派であるのに対し、

躬恒は奔放というか、
枠にとらわれない魅力があると思っていて、

音楽家に喩えるならば、
貫之=ハイドン、躬恒=モーツァルト、
というのが、僕のイメージ。

この原歌も、
霜を菊に見立てるのは、
まぁ普通といえば普通なのだが、

それをいきなり冒頭から、

「見分けがつかないから、
適当に折っちゃうよ~」

とぶっこんでくるあたり、
やはり型破りタイプの天才なのだと思う。

なので、正直こういう歌に、
「替へ歌」とか失礼無礼極まりないと思いつつ、

まぁこんな感じで、
艶めか路線にするしかないのかな、と。

第三十番歌

【原歌】
有明のつれなく見えし別れより
暁ばかり憂きものはなし
(壬生忠岑)

【替へ歌】
君が香の残れる部屋に月漏れて
暁を待つ憂しと知りながら

これも二十九番歌同様、
古今集時代の和歌の魅力を堪能するには、
もってこいの歌。

明け方に恋人がそっけなく帰ってゆく、
その時の有明の月までもが、
ムカつく感じだったから、
それ以来、夜明けほどイヤなものはない、

という、
まるで『源氏物語』の一コマを切り出したような、
物語的な歌である。

それまで人と一緒に楽しく過ごしていたのに、
急に独りになるのは寂しいもので、
それが恋人であれば、なおさらのこと。

そんなときには、
月の光さえも憎たらしいわけだが、
替へ歌の方は、
原歌にはない恋人の「残り香」を追加し、
より官能的にしてみた。