第四十一番歌

【原歌】
恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか
(壬生忠見)

【替へ歌】
人知れず止みにしものを恋すてふ
わが名ばかりはあとに残りて

原歌は「忍ぶ恋」として、
第四十番歌の、

忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで
(平兼盛)

と、歌合で競い合った歌。

結果としては、
帝が「忍ぶれど…」と口ずさんだことで、
四十番歌が勝ったわけだが、

確かに、四十番歌のような深刻さが、
この四十一番歌には欠けているので、

「忍ぶ恋」というテーマにおいては、
四十番歌の方が優れているかもしれない。

さて、替へ歌については、
「恋のステージ」を変えることとし、

もう終わった恋なんだけれど、
今ごろ噂が立って困ったもんだ、、、

という趣向にした。

原歌は恋と噂が同時進行なのだが、
替へ歌の方は、
そこに時間差をつけたのがポイント。

もう別れたのに、
今更騒がれてもねぇ…。

※さらっと書いてますが、
名歌になればなるほど、
替へ歌は結構大変なんですよ、ホントに。

第四十二番歌

【原歌】
契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
(清原元輔)

【替へ歌】
波や越す越さぬも知らぬ我なれば
袖の契りもおぼつかなくて

これもまた、恋の歌。

「末の松山」というのは、
宮城県にある歌枕で、

昔から「末の松山」だけは、
どんな波も越さないと言われていた。

あの東日本大震災の津波のときも、
ここまでは波が来なかったとか。

つまり原歌の歌意は、

僕たちはお互いに袖を濡らしながら、
別れることはないって約束したよね、
末の松山を決して波が越さないように。
(でも君の方から別れるなんて)

というもので、
まぁ、個人的見解としては、
凡庸な失恋の歌かな。

替へ歌としては、
男からこういう未練がましい歌を送られた女性が、
その返歌として、

波が越そうが越すまいが、
都にいる私は知ったこっちゃないので、
袖を絞った約束なんてものも、
よく覚えてなんかないんだけど

ときっぱりと切り返す形とした。

※「きっぱり」とは言いつつ、
末尾を「~て」と曖昧な形にすることで、
わざとらしくとぼけて見せる、
女性の感覚を表現してみた。
(たしか『源氏物語』あたりに用例が。)

四十番前後は、
男による苦々しい恋の歌が、
続くようだ。